鳴く烏の子に食物を与える主

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2020.03.11
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 147篇9?12節
放送日
2020.03.11

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。
「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われ ていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は詩 篇 147 篇 9 節から 12 節、「鳴く烏の子に食物を与える方」と題してメッセージ をお伝えいたします。
「獣に また 鳴く烏の子に食物を与える方。神は馬の力を喜ばず 人の足の?? さを好まれない。主を恐れる者と 御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。」
どうやらこの詩篇の背景には、紀元前 586 年の「バビロン捕囚」の出来事が あるようですね。かつてイスラエルは、バビロンとの戦争に敗れ、多くの者が バビロンに捕虜として連れ去られる「バビロン捕囚」という出来事を経験しま した。それから約 70 年後、捕虜となった人々は、自分たちの祖国エルサレムに 戻ることが許されます。彼らはエルサレムの町を再建し、町の修復を完成させ ますが、その時にこの詩が詩われたというわけです。そこで詩人は、まず神の 素晴らしさを詩いあげています。神がバビロンで捕虜の身となったイスラエル の民を顧みて下さって、もう二度と踏めないと思った祖国の地を踏ませ、国を 再建させて下さった。神はなんとすばらしいお方かというわけです。
注目したいのは、ただ「神が救って下さった、感謝だ」というのではなくて、 「望みなき者に対して神が心遣いをして下さった」と語られているところです。 実際、詩人は、神を「獣に、また鳴く烏の子に食物を与える方」と呼びます。 獣も鳴く烏の子も、人に関心を向けられるようなものではありません。そのよ うに獣か鳴く烏の子にたとえられるような者、つまり、社会の隙間に落ち込ん で消え去っていくような者に、神は心を配って下さったというわけです。そし て加えます。「神は馬の力を喜ばず 人の足の??さを好まれない。」つまり、神は 人間が尊ぶようなものを尊ばない。神は主を恐れる者と、御恵みを待ち望む者 とを好むと。人は、自分が獣や鳴く烏の子のようなものだ、誰にも助けてもら えないようなものだと思い、望みを失う気持ちになることがあるものでしょう。 しかし、そのような者に目を留められる神がおられるのです。神を恐れ、神の 恵みを待ち望みたいものです。では良き一週を祈ります。

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