生まれつきの盲人(その二)「私は世の光である」

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2025.07.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 9章4~7節
[新約聖書] ヨハネの福音書 8章12節
放送日
2025.07.22

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「生まれつきの盲人(その二)」という題でお話しましょう。目の見えない人のことを、失明した人と言う時もあります。目の神経が光を取り入れることができないからです。目が見えないとは、光を失うことですね。肉眼が見えても真っ暗な闇の中では何も見えません。光がないからです。ヨハネの福音書9章4~7節です。
さて、イエス様は、生まれつき目の不自由な人を前にして、こう語りかけます。「わたしたちは、わたしを遣わされた方、神のわざを昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、誰も働けなくなる。わたしは、この世にいる間は、世の光である」このイエス様のことばを聞いた生まれつき目の不自由な人は、どう思ったでしょうか。目の不自由な人は、「私の目に光がほしい。光の世界を体験したい」と願ったことでしょう。
その時です。イエスという人物が、地の上にぺっぺと唾をかけると、その唾で泥を作りました。そして、その泥を目の不自由な人の目に塗りたくったのです。彼の目はパンダのようになったことでしょう。そして、彼にイエス様はこう言われたのです。「シロアムの池に行って、洗いなさい」。
目の不自由な彼はどうやってシロアムの池まで行ったらいいでしょうか。誰かが彼をシロアムの池まで連れて行ってくれるかもしれません。目の周りについた泥をどうやって洗い落とすことができるでしょう。他人の私でも心配してしまいます。
しかし、彼はシロアムの池まで行って、目を洗いました。そして見えるようになって家へ帰って行ったのです。生まれつき目の不自由な人はイエス様のことばを信じ、従ったのです。この世の光として、この世に来てくださったイエス様を信じ受け入れました。イエス様のことばです。「わたしは世の光である。わたしに従ってくる者は、闇のうちを歩くことがなく、いのちの光を持つであろう」口語訳聖書 ヨハネの福音書8章12節
この世はなんと暗く闇の世ではないでしょうか。そのような暗闇の世のなかに生きる私たちの心も暗く闇で覆われてしまいそうです。一寸先は闇です。暗い心を外へ箒ではきだす人はいないでしょう。暗く闇の心は光だけが追い出すことができるのです。

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