安息日論争
- 出演者
- 板倉邦雄
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.07.24
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 9章13~17節
[旧約聖書] 出エジプト記 20章8、10節
[新約聖書] マルコの福音書 2章27節
- 放送日
- 2025.07.24
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「安息日論争」という題でお話しましょう。安息日は、イスラエルの人々にとって、大事な神礼拝の日でした。モーセの律法の4番目の命令です。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、何のわざをもしてはならない」と口語訳聖書出エジプト記の20章8節と10節にあります。実は、生まれつき目の見えない人を、イエス様が安息日に治してあげたことが、安息日の律法を破ったということで論争になったのです。ヨハネの福音書9章13~17節です。
ユダヤ人たちは、目の不自由な人を、律法学者、パリサイ派の人々のところへ連れていきました。イエス様が泥を塗って彼の目を開けたのは、安息日だったからです。律法学者たちは彼に問いただしました。「どうして見えるようになったのか」「あの方が私の目にこねた泥を塗って、『シロアムの池に行って目を洗え』と言われたので、行って洗いましたら、見えるようになりました」すると、「その人は神から来た人ではない。安息日の律法を守っていないのだから」と他のパリサイ派の律法学者が断言しました。
ところが、他の律法学者たちは口をそろえて反発したのです。「罪深い人間がどうしてこのような神の証拠としてのしるしを行うことができるだろうか」そして、彼ら律法学者たちの間で意見が分かれ、論争が起こりました。そこで彼らはもう1度、この生まれつき目の見えない人に訊ねました。「お前の目を開いてくれたその人をどう思うか」彼は答えます。「預言者だと思います」。
当時の律法学者たちは、モーセの命令の「何のわざもしてはならない」の下に何百もの規則を作り、それを守るように人々に要求していたのです。それで安息日にイエス様が盲人の人の目に泥を塗り、池で洗わせたことはモーセの律法を破ったということになったのです。イエス様は罪人でありその癒やしは有効ではない、という論争でした。
ところで、律法や法律、そして規則というものは、一体誰のためにあるのでしょうか。それは、私たちのためにあるものです。法律や規則のために私たちが存在するものではありません。イエス様のことばです。「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」口語訳聖書マルコの福音書2章27節
今日は「安息日論争」という題でお話しましょう。安息日は、イスラエルの人々にとって、大事な神礼拝の日でした。モーセの律法の4番目の命令です。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、何のわざをもしてはならない」と口語訳聖書出エジプト記の20章8節と10節にあります。実は、生まれつき目の見えない人を、イエス様が安息日に治してあげたことが、安息日の律法を破ったということで論争になったのです。ヨハネの福音書9章13~17節です。
ユダヤ人たちは、目の不自由な人を、律法学者、パリサイ派の人々のところへ連れていきました。イエス様が泥を塗って彼の目を開けたのは、安息日だったからです。律法学者たちは彼に問いただしました。「どうして見えるようになったのか」「あの方が私の目にこねた泥を塗って、『シロアムの池に行って目を洗え』と言われたので、行って洗いましたら、見えるようになりました」すると、「その人は神から来た人ではない。安息日の律法を守っていないのだから」と他のパリサイ派の律法学者が断言しました。
ところが、他の律法学者たちは口をそろえて反発したのです。「罪深い人間がどうしてこのような神の証拠としてのしるしを行うことができるだろうか」そして、彼ら律法学者たちの間で意見が分かれ、論争が起こりました。そこで彼らはもう1度、この生まれつき目の見えない人に訊ねました。「お前の目を開いてくれたその人をどう思うか」彼は答えます。「預言者だと思います」。
当時の律法学者たちは、モーセの命令の「何のわざもしてはならない」の下に何百もの規則を作り、それを守るように人々に要求していたのです。それで安息日にイエス様が盲人の人の目に泥を塗り、池で洗わせたことはモーセの律法を破ったということになったのです。イエス様は罪人でありその癒やしは有効ではない、という論争でした。
ところで、律法や法律、そして規則というものは、一体誰のためにあるのでしょうか。それは、私たちのためにあるものです。法律や規則のために私たちが存在するものではありません。イエス様のことばです。「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」口語訳聖書マルコの福音書2章27節
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