日本初の女性記者であり教育者 羽仁もと子

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.08.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 8章31、32節
放送日
2019.08.26

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世の光の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
 第四週月曜日の今日は、日本初の女性記者であり教育者、羽仁もと子について学んでみましょう。羽仁もと子は、明治6年、青森の八戸で生まれます。16歳で上京し、東京府立第一高等女学校に入学しますが、孤高のうちに乾きを覚え、キリスト教会に通い始めます。そして、聖書が語る神様の愛を知り、罪を認め、キリストを信じ、洗礼を受けるのです。教師を目指し、女子高等師範を受験しますが不合格。女学雑誌の熱心な読者もと子は、その編集長で明治女学校の校長、岩本善治の計らいで明治女学校へ入学。女学雑誌の校正を手伝い、雑誌作りの基礎を学びます。
 二度目の夏休み、八戸に帰ると彼女はそのまま教員となります。そして恋愛し、結婚へと導かれるのです。自分の生き方を求めつつもさまよう葛藤が見て取れますね。その結婚は半年で破綻し、もと子は、本当に自分の無力を痛感した半年であったと書き残しています。再度上京して、報知新聞の校正の職を得、実力が認められて記者となり日本初の女性ジャーナリストとなります。そして自らが苦しんだ経験をもとに、家庭生活の大切さ訴え、聖書が語る神様の愛を基盤とした思想家として力を発揮していきます。
 職場で知り合った羽仁吉一と28歳で再婚。30歳で雑誌「家庭之友」の創刊に関わり、その後、夫婦で出版していた雑誌を「婦人の友」へと改題し、主婦や家庭の方向性を示唆していきました。48歳の時、もと子は、読者の子への愛の教育を目指し、東京、旧目白に自由学園を創立します。その名称は旧約聖書に由来するものでした。自由学園は、神様の愛に基づき、自労自治の生活を通じ、少人数の教育を行っています。彼女の墓標には「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」と刻まれました。
 イエス・キリストはこう語ります。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」新約聖書ヨハネの福音書 8章31節、32節

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