イスカリオテのユダの最期

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき

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アップロード日
2019.08.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 27章
放送日
2019.08.17

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世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 イエスの12弟子の一人に、イスカリオテのユダという人がいます。聖書の中で、彼を含む12弟子全員の名前が列挙される時、イスカリオテのユダは必ず最後に書かれています。そして必ず、イエスを裏切ったという但し書きが加えられています。彼はイエスを裏切ったのです。ユダヤ人指導者たちから、銀貨30枚を受け取り、彼らにイエスを引き渡したのです。今日は、このユダの最後について、新約聖書マタイの福音書27章からお話しします。
 イエスが、死刑に定められたことを知ったユダは、イエスを引き渡したことを後悔しました。そして銀貨を返して指導者たちに言いました。「私は無実の人の血を売って罪を犯した。」ところが指導者たちは、「われわれの知ったことか。自分で始末しろ!」と銀貨を受け取りませんでした。受け取りを拒否されたユダは、銀貨を神殿に投げ込んで、そこを立ち去り、神殿の外に出てから首をつってしまいました。ユダは、イエスのことを無実の人であると言っています。しかし、イエスが神の御子、救い主であるとは言っていません。ユダは救い主であるイエス・キリストを、信じることができなかったのです。
 「悔い改めて福音を信じなさい」とイエスは言われました。「福音」とは良い知らせです。「キリストの福音」とは、イエスが神の御子であり、救い主であり、人を救うために十字架にかかって死んで下さったことであり、このキリストの十字架によって、人は罪を赦されて救われるという良い知らせのことです。
 ユダは自分の罪を認めて後悔しました。しかし、キリストの福音を信じることができなかったのです。人はどんなに後悔しても、自分の力で自分を救うことはできないのです。神はそんな人の罪を赦すために、ご自分の独り子で、無実の人であるイエス・キリストを、身代わりとして十字架につけられたのです。キリストの十字架によってしか救いはないのです。このキリストの福音を信じましょう。明日は日曜日です。キリストの福音を知るために、お近くのキリスト教会にいらして下さい。

コメント

a
違う
弟子の中で、ユダだけが信じていたのだ

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M.Tours
イエス・キリストはユダをも救われた
ユダが救われていなければこの世の全員が救われない

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