ただ信じなさい③

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2025.08.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 8章
放送日
2025.08.13

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週は聖書のルカ福音書8章から学んでいます。娘が死んだという連絡を受けたヤイロという人が出てきます。ヤイロはなんとかして、イエス様に来て頂いて、娘のいのちを助けて欲しかったのに、間に合いませんでした。「手遅れだ」「もっと早く来てくださったら」生まれてくるのは神へ絶望です。私たちは時に神様のなさることが手遅れだ、と思います。特に「いのちが尽きる」もう取り返せない状況。神のなさることが「手遅れだ」と思うとは、何と残酷な時間なのかと思います。
しかし、その知らせを聞いても尚、イエス様は「恐れないで、ただ信じなさい」と語られて、イエス様はそのままヤイロの家に向かわれます。ヤイロの家では一人娘の死のために泣き悲しんでいる人たちが集まっていました。するとその人達にイエスは「泣かなくてよい。死んだのではなく、眠っているのです」と言います。人々は「イエスをあざ笑った」とあります。「ただ信じる」ことの逆のことは、神のなさることをあざ笑うことだと思います。
なぜ私たちが神をあざ笑うのでしょか。その理由は、私たちは「ただ信じる」よりも、神の無力をあざ笑ったほうが、自分が傷つかないからです。これ以上信じ続けるならば、信じた自分がもっと深く神に失望させられるかもしれない。もっと深く、ただ信じた自分を、自分で恥じるようになるのではないか。神を信じたことを後悔するようになるのであれば、もっと早く神をあざ笑ったほうが、自分の人生が守られるのではないかと思う。熱心に神を信じてきた自分を守るために、神をあざ笑うということが人にはあるのだと思います。
しかし、そこで問われるのは、私たちのそばに居られるのが誰なのかという事実です。神様に限界などはありません。人間にあざ笑われるような神ではありません。神に手遅れなどありません。神に不可能なことなど何一つないのです。そして神様は今日、涙する私たちに「泣かなくても良い」と言ってくださいます。なぜならば神様はいのちを司るお方だからです。私たちの絶望の状況においても「泣かなくても良い」と声をかけられ、死からいのちへと移してくださる神が私たちについていてくださる。この後、ヤイロに驚くべきことが起こります。

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