さばいてはいけません
- 出演者
- 福井 誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 人を許すことが出来ないとき
もっと詳しく見る
- アップロード日
- 2025.05.06
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] マタイの福音書 7章1-2節
- 放送日
- 2025.05.06
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週は、福井誠が担当しています。今日もマタイの福音書から、イエスのことばを味わってまいりましょう。今日は「さばいてはいけません」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章1、2節をお読みします。
「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです」
今日の聖書のことばを聞きながら「さばく」って何かなと耳をそばだてた方もおられるのではないでしょうか。「魚をさばくのかな」それとも、「何か裁判に関わることなのかな」と一瞬考えられた方もいるかもしれませんね。確かに、「さばく」ということばは特定の状況で使われることが多く、日常ではあまり耳にしないものです。しかし、キリスト教会ではよく使われる単語で、いわゆる業界用語というべきものではないかと私は思うことがあります。
「さばいてはいけない」これは、普通の言い方をすれば、批判してはならない、厳しい言い方をしてはいけない、ということです。もちろん、適切な批判や指摘が必要なこともあります。過度な批判、相手の気持ちを考慮しない指摘は止めましょうということでしょう。
大切なのは、人間は過ちを犯しやすいものだと心得ることです。間違いを犯さない人などいません。人間としての弱さを意識できれば、相手の過ちを厳しく指摘するよりも、優しく、理解を持って接することが大事だとわかります。そして建設的に自分の考えを伝える重要さもわかります。人が間違いを犯して何か言わなければならないとしたら、ぜひ優しく語っていきたいものです。そうすれば、たとえ優しさが直ぐに返ってこないとしても、あなた自身の心も安らぐのです。
「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです」
今日の聖書のことばを聞きながら「さばく」って何かなと耳をそばだてた方もおられるのではないでしょうか。「魚をさばくのかな」それとも、「何か裁判に関わることなのかな」と一瞬考えられた方もいるかもしれませんね。確かに、「さばく」ということばは特定の状況で使われることが多く、日常ではあまり耳にしないものです。しかし、キリスト教会ではよく使われる単語で、いわゆる業界用語というべきものではないかと私は思うことがあります。
「さばいてはいけない」これは、普通の言い方をすれば、批判してはならない、厳しい言い方をしてはいけない、ということです。もちろん、適切な批判や指摘が必要なこともあります。過度な批判、相手の気持ちを考慮しない指摘は止めましょうということでしょう。
大切なのは、人間は過ちを犯しやすいものだと心得ることです。間違いを犯さない人などいません。人間としての弱さを意識できれば、相手の過ちを厳しく指摘するよりも、優しく、理解を持って接することが大事だとわかります。そして建設的に自分の考えを伝える重要さもわかります。人が間違いを犯して何か言わなければならないとしたら、ぜひ優しく語っていきたいものです。そうすれば、たとえ優しさが直ぐに返ってこないとしても、あなた自身の心も安らぐのです。
コメント
番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。