人生を覆う影-罪責感

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2025.02.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの手紙第一 1章8節
放送日
2025.02.06

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか?関根弘興です。
今、多くの人のこころを覆い、人生をつまらないものだと思わせてしまう、まるで人生を覆う影のような、または雲のようなものがいくつかあると思います。
そのひとつは、自分に対する無価値感。ふたつ目は「孤独感」、そして3つ目は虚無感。むなしさ。そんなお話をこれまでしてきました。それでは4つ目は何でしょう。それは、罪責感なんですね。聖書にはこう記されています。新約聖書、第一ヨハネの手紙1章8節「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません」このヨハネの手紙が書かれた時代は、罪なんてことを話題にすること自体、程度の低い証拠だという風潮があったようでした。ある人は「私は罪などまったくない」または、「自分には罪の責任などない」と言い張る人がいたようでした。それは、今でも似ているかもしれませんね。
私は牧師として、いろんな所でお話をしますが、罪ということについて話をすると、いろんな反応が返ってきます。「関根先生、違いますよ。これはね、環境のせいなんですよ。親のせいなんですよ。学校のせいなんですよ」と、いつの間にか責任を他に押し付けてしまい、自分の正直な姿を認めようとしないことがあります。まあ自分には罪はないと言いたいわけですよね。また、ある人は、「罪なんて自分に何の影響ももたらしませんよ、何の害も受けないし、たとえ私が何か間違いを犯したとしても、私が全部責任を取ればいいんでしょ、罪なんて関係ないですよ」そう言われる方もいるでしょう。ヨハネはこういう人生は自分を欺いている人生なんだ、とばっさりと言ったわけです。
人は何をどう言おうが、心の中を覗いたら、罪責感があるものです。「あんなことをしなければ良かった。あんなことを言わなければ良かった」たくさんの後悔が罪責感となっていることがあります。聖書は、罪ということの基本的な意味は「まとはずれ」「ずれ」という状態なのだと教えています。ですから、聖書が教える罪人というのは、犯罪を犯しているという意味ではありません。神様とあなたとの関係がずれてしまっているんですよ、そして、そのズレが私たちの生活に黒雲をもたらしているんですよ、とそう教えているのです。ですから、罪の解決は人生の救いに繋がっていくわけです。イエス・キリストは救い主として来てくださいました。それは、その罪の問題の解決のために来てくださったのです。

コメント

永井明
日の出前に聖句頂き元気になりました。イエス様に全ておまかせして委ねて前向きに今の状況を捉えます。アーメン

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