えぐり出して捨てなさい
- 出演者
- 福井 誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.01.11
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] マタイの福音書 5章29節
- 放送日
- 2025.01.11
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。この一週間、皆さんと新約聖書のマタイの福音書を読み続けることができました。皆さん、いかがでしたか。聖書の面白さがわかり、マタイの口調が皆さんの耳に響いてくる、そんなことを願っています。では、今日は、「えぐり出して捨てなさい」と題して、お話をいたします。新約聖書マタイの福音書5章29節からお読みします。
「もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれない方がよいのです」
今日は、「姦淫してはならない」つまり性的な不道徳を戒める教えです。昨日は、「殺してはならない」という戒めを読みました。内容は違いますが、考え方は同じです。いずれにしても、外面的な行為ではない、内面的な思いの部分にまで深めて、この戒めを適用し、理解していくのでなければ、本当に理解したことにはならない、とイエスは言うのです。
ですから、イエスは、姦淫というのは、姦淫という行為ではなく、情欲という思いを問題にするもので、そこまで人間の心のきよさを考えるのでなければ、天の御国に入る心のきよさに生きる信仰には、到達していないのだ、と言うのです。
当時ユダヤでは、姦淫の罪を犯した人は、石打で処刑されました。ヨハネの福音書には、ちょうど、姦淫の現場で捕まえられた女性について、イエスに死刑執行を求める、律法学者たちのエピソードが記録されています。彼女は、律法によれば、その場で処刑されるはずでした。ところがイエスは「あなた方の中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」と応答し、一人去り、二人去り、結局その女性はいのちを助けられるのです。
この時に、人々が問われたのは、彼らが人生のどこかでしでかした行為ではなく思いでした。結局、ゲヘナに投げ込まれるという重大な結果は、思いに対するものであると言う理解が重要なのです。そしてこのような恐ろしい事態から逃れられない私たちには、神のあわれみと罪の赦しが必要だということです。ぜひ教会でも詳しいお話を聞いてください。
「もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれない方がよいのです」
今日は、「姦淫してはならない」つまり性的な不道徳を戒める教えです。昨日は、「殺してはならない」という戒めを読みました。内容は違いますが、考え方は同じです。いずれにしても、外面的な行為ではない、内面的な思いの部分にまで深めて、この戒めを適用し、理解していくのでなければ、本当に理解したことにはならない、とイエスは言うのです。
ですから、イエスは、姦淫というのは、姦淫という行為ではなく、情欲という思いを問題にするもので、そこまで人間の心のきよさを考えるのでなければ、天の御国に入る心のきよさに生きる信仰には、到達していないのだ、と言うのです。
当時ユダヤでは、姦淫の罪を犯した人は、石打で処刑されました。ヨハネの福音書には、ちょうど、姦淫の現場で捕まえられた女性について、イエスに死刑執行を求める、律法学者たちのエピソードが記録されています。彼女は、律法によれば、その場で処刑されるはずでした。ところがイエスは「あなた方の中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」と応答し、一人去り、二人去り、結局その女性はいのちを助けられるのです。
この時に、人々が問われたのは、彼らが人生のどこかでしでかした行為ではなく思いでした。結局、ゲヘナに投げ込まれるという重大な結果は、思いに対するものであると言う理解が重要なのです。そしてこのような恐ろしい事態から逃れられない私たちには、神のあわれみと罪の赦しが必要だということです。ぜひ教会でも詳しいお話を聞いてください。
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