安心していきなさい5

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2024.11.15
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 7章36~50節
放送日
2024.11.15

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。私の担当する今週、聖書のルカ福音書7章から学んでいます。イエス様はシモンという人に500デナリと50デナリを借りたけれども返せなかったしもべの話をして、どちらが金貸しを愛せるようになったかとお聞きになりました。シモンはイエス様に「500デナリを借りたしもべです」と答えました。イエス様は、このたとえ話をしながら、「シモン、あなたこそが500デナリを借りたしもべなのだ」とおっしゃりたいのです。罪深いとされる女性に対する彼の心を見抜いておられました。
あなたは正しい。しかしそこに愛がない。シモン、あなたは彼女の涙の意味がわかっていない。自分の罪深さに涙するほどの、自分の罪の深刻さがわかっていない。しかしイエス様はシモンに「あなたは罪ゆえの悲しみが見えていない。だから人の罪の悲しみも、自分の罪の悲しみも見えてこないのだ。あなたのほうがもっと罪深いのだ、シモン」イエス様のこの例え話でシモンは、500デナリを借りているのは彼女だと思って聴いていたでしょう。自分は50デナリも借りていないと思っていたでしょう。しかしシモン、あなたこそが500デナリ借りている側なのだとおっしゃりたいのです。しかし彼女は自分の罪に気が付いている。「自分の愛のなさ」「自分の罪深さ」に気が付いている。そして自分の赦された罪の大きさに気が付いている。しかしイエス様は言われました。「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません」
ここに今日、私たちが愛に生きる手がかりがあります。それは「多く赦されること」です。「赦し」のなかで愛を経験することです。私の友人がこう言いました。「本当に赦された経験をしたことがないと、人を赦す事などできないものだなあ」確かにそうです。
愛の足りない私たちにとって、愛せるようになるために必要なことはイエス様の愛に赦される経験を重ねることです。そしてイエス様はどこまでも赦してくださる。その愛の大きさを経験すれば経験するほど、自分が愛された愛で人を愛せるようになるのです。イエス様に愛された愛を誰かにも与えることが出来るようになるのです。その意味ではもっともっと自分の罪深さを知ることこそが、愛せる人になっていく手がかりとなるのです。

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