安心していきなさい2

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2024.11.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 7章36~50節
放送日
2024.11.12

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。私の担当する今週は聖書のルカ福音書7章から学んでいます。今週は新約聖書時代の宗教学者であったパリサイ人シモンの家の食事会にイエス様が招かれた時、町で「罪深い女性」と呼ばれる人物が、食卓に入ってきた物語を学んでいます。
パリサイ人とは「分離する者」という意味で、聖書の語る罪から遠ざかろうとする人たちを意味します。彼女にとっては、パリサイ人の家は絶対に近づきたくない場所です。自分をいつも蔑んだ目で見てくる。自分が家に入ってくることなど絶対に許しはしない。しかし彼女はその家に勇気をもって入ってきました。すると食事をされているイエス様と目があったのでしょう。「入ってきていいよ」という顔をしてくださったのでしょう。そうでなければ、上座にいるイエス様のそばには近づけませんでした。「思った通りの人だった」と思ったことを思います。泣きながら一直線にイエス様に向かっていきました。涙が溢れて止められない。自分の存在の悲しさに涙した彼女がいました。
自分の存在の悲しさに涙するということは、人の尊厳に関わることです。自分の魂をどん底から見つめるならば、本当は泣くしかないような私たち人間の弱さがあります。人の目、人の期待に上手く答えられずに疲れ切った私たちが本当はいます。しかしどこでも泣けない。どこにも泣いて良い場所がない。映画館でそっと泣く。一人でお酒を飲みながらそっと泣く。心許せる友だちの前でそっと泣く。しかしその涙が自分の罪深さを解決出来るわけではありません。
しかしこの時、彼女はイエス様の前で泣きました。するとイエス様は「あなたの罪は赦されています」と言ってくださったのです。「赦せる権威のある」方の前で泣く涙でした。私たちが自分の罪に悲しみ、いくらお酒を飲んでも、いくら泣いたとしても、いくら怒鳴り散らしても、決して晴れることができない魂の虚しさ、存在の悲しさが吹き飛んでいく安心がイエス様のもとにはありました。今日も自分の罪に悲しく目に涙を浮かべて泣く時に、教会では目を上げると十字架が見えてきます。「あなたの罪は赦された」と十字架の愛が見えてくるのです。教会は誰の目も気にせずに、安心して泣ける場所です。ぜひ教会にいらっしゃいませんか。

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