神さまって何?…私のパン

出演者
黒木昭江
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 死や命について考えているとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.09.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章48節
放送日
2024.09.17

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「世の光」の時間です。今週は名古屋市の富田キリスト教会・金山キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けします。
皆さんは「神様」ってどんな方だと思いますか?宗教が人を食い物にする事件を耳にすると、神や仏はありがたいというより、やっかいな存在だと思うかもしれません。しかし神様って、本当にそんな方なのでしょうか。 
聖書は、見えない神が見える存在として現れた、それがイエス・キリストだと語っています。そしてイエス・キリストは、ご自分がどのような神であるかを、具体的なモノにたとえて説明されました。今週は、その、イエス・キリストのことばをご一緒に聞いています。
火曜日の今日は、ヨハネの福音書6章48節、「わたしはいのちのパンです」ということばを取り上げます。パン、食べ物です。キリストはおっしゃいました、真実の神は人を食いものになどしない、逆に、神のほうが自分を人々に与えて、人々にいのちをもたらすのだ。しかしそれは、どういうことなのでしょう。 
聖書はこう伝えています。イエス・キリストは、神でありながら、神の位を捨てて、人間となって、人々と生活をともにされた。そして最後は、十字架にかかって亡くなりました。それは私たちの罪の償いを身代わりに引き受けた死だったのです。十字架の死は人に永遠のいのちを与えます。神は、ご自分が犠牲になることで、永遠のいのちの希望を私たちに与えてくださいました。 
20世紀、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所で、逃亡者が出ました。収容所長が見せしめのために、無差別に10人を選んで殺そうとした時、選ばれた者のうちの一人が泣き始めたのです。するとコルベという名の神父が彼の身代わりを申し出ました。クリスチャンであったコルベ神父は、自分のためにいのちを捨てたキリストを思い、またそのキリストのいのちによって、たとい死んでも永遠に生きるという確信のもと、自分の命を差し出したのです。コルベ神父の行動は、キリストの姿そのものです。 
神はいのちのパンです。この神の愛が、私たちの上に、降り注がれています。 

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