わたしの時はまだ来ていない

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.08.19
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 7章6~9節
[新約聖書] エペソ人への手紙 5章16節
放送日
2024.08.19

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「わたしの時はまだ来ていない」という題でお話しましょう。「わたしの時はまだ来ていない」とは、イエス様の兄弟たちが「ユダヤで仮庵の祭があるのでこんな田舎に引っ込んでいないでみんなの前に自分を公に現わした方がいいのではないか」と言った時のイエス様の答えでした。ヨハネの福音書7章6~9節です。
さて、この「わたしの時はまだ来ていない」というイエス様の答えには、2つのことが考えられます。1つは、わたしがユダヤの仮庵の祭に行く時はまだ来ていない、という意味に取れます。もう1つは、イエス様がユダヤに行き、苦難を受けて十字架にかかる時はまだ来ていない、と取ることができます。イエス・キリストの時、すなわち神の時、というものは、神の素晴らしさがもっとも現わされる時であり、私たちにとっても最善の時である、ということです。
しかし、イエスの時と比較して、「あなたがたの時はいつも備わっている」とイエス様は兄弟たちに答えました。兄弟たちの時はいつも用意され、準備されているのです。イエスの兄弟たちを含め、誰もが祭に行くのも行かないのも自由であり、祭に受け入れられ、祭は多くの人々を待っていました。一方、イエス様にとっては、自分を殺害しようとするユダヤ人たちが祭で待ち構えていたのです。しかし、イエス様の十字架の死は、このことばの1年後でした。ですから、「わたしの時はまだ来ていない」とイエス様は言われたのです。
そして、人々から憎まれ、殺されるその理由をイエス様はこのように語りました。「この世があなたがたを憎むことはあり得ない。しかし、わたしは憎まれている。わたしが世の行いの悪いことを証ししているからである」イエス様の兄弟たちは、この世と仲良くしていましたので、この世から憎まれることはありませんでした。しかし、イエス様はこの世の悪を断罪していたのです。ですから、この世からは憎まれました。
さて、聖書の中に、「今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのだから」ということばがあります。私たちの前にはいつも時が用意され、準備されているのです。その時を、悪のためではなく、神の時として生かしてまいりましょう。

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