真のいのちを内に宿して

出演者
水谷 潔
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき
  • 元気をもらいたいとき

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アップロード日
2024.08.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 11章25節
放送日
2024.08.13

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「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります、春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。 
 「生ける屍」「魂の抜け殻」。日本語には、そんな表現があります。呼吸はしています。心臓も動いています。でも、死んだような状態ということでしょう。これらの表現は、人間には、肉体的ないのちとは別に、もっと本質的ないのちがあることを暗示しているようです。 
じつは聖書が記す「いのち」にも、同じような面があります。新約聖書はギリシャ語で書かれているのですが、「いのち」ということばには、主に二通りあります。一つは「プシュケー」ということばです。神様から与えられた肉体と魂の両方を含む一般的ないのちです。もう一つは、「ゾーエー」ということばです。神様との関係にある「真のいのち」を意味します。言い換えれば、神様から見て、生きているいのちです。 
 聖書によれば、生まれながらの私たちは神様に背を向けていて、神様にとっては生ける屍、魂の抜け殻のような存在です。しかし、イエス・キリストを信じるなら、神様との愛の関係が始まります。そうです。イエス様は、私たちと神様をつないでくださり、真のいのちをくださるのです。
 新約聖書ヨハネの福音書11章25節でイエス様はこうおっしゃっています。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」。このいのちは、「ゾーエー」です。神様との関係にあるいのち、そして、死によって終わることのない永遠を生きるいのちです。イエス様を信じた人は、この地上から、死の向こう側にまで、この真のいのちを生きるのです。 
 昔、あるキリスト教の伝道者が、真のいのちを得るとどうなるかをこう表現しました。「イエス様を信じるなら、電信柱に花が咲き、焼いた魚が躍り出す」昔の電柱は、木の幹でできていました。しかし、一旦、電柱になれば、もういのちはありません。焼き魚も同じです。しかし、イエス様を信じるなら、その人の内側には、花を咲かせ、踊り出させるようないのちが始まります。 
 イエス様はおっしゃいました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」。たとえ、あなたが今、生ける屍、魂の抜け殻のようであったとしても、イエス様を信じるなら、神様は、あなたをいのちで満たしてくだします。生き生きとした新しい歩みを始めさせてくださいます。 

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