東方の博士の喜び
- 出演者
- 福井 誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2024.08.09
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] マタイの福音書 2章9~10節節
- 放送日
- 2024.08.09
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか?今週は福井誠が担当しています。今日は、その5日目。そろそろお盆の季節ですね。それで少し時間を取れる方もいるのではないでしょうか。ぜひ、これをきっかけにマタイの福音書から始めて聖書をじっくり通読することにチャレンジしていただきたいと思います。では、昨日の続きで、「東方の博士の喜び」と題してお話します。新約聖書マタイの福音書2章9~10節をお読みします 。
「博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまできて、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」
イエスがお生まれになった日を、紀元元年と定めたのは、6世紀のローマの修道院長ディオニシウス・エクシグースだと言われています。そして、実際にイエスがお生まれになったのは、紀元前5年か6年頃と考えられています。マタイは、そのイエスがベツレヘムでお生まれになった時、東方から博士がやってきたことを記録しています。エルサレムの東方には、バビロンがあり、そこは紀元前6世紀、バビロンとの戦争で、ユダヤ人が捕虜として移住させられた地方でした。ですから、そこでは旧約聖書に書かれた、全人類の救い主誕生の預言もよく知られており、そこから博士たちが来たことも不思議ではありません。
他方、博士たちを導いたこの不思議な星は何であったのか、星の大爆発、流れ星、彗星など、様々な説が考えられています。その中で、最も妥当と思われているのは、天文学者のケプラーが唱えたもので、800年に一度、火星と木星と土星が大接近する会合説です。実際にそれは、紀元前6~7世紀頃に起こったとされています。ただ私は聖書に書かれていることを、何でも科学的、合理的に説明する必要もないのかな、と思うところがあります。
そもそも私たちが信じる神は天地万物をお造りになったお方です。超自然的な特別なしるしを起こすことなどお安い御用でしょう。神に不可能はありません。神が世に不思議を起こしてまでも知らせたかったこと、それは、人類が神に愛されていることでした。
「博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまできて、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」
イエスがお生まれになった日を、紀元元年と定めたのは、6世紀のローマの修道院長ディオニシウス・エクシグースだと言われています。そして、実際にイエスがお生まれになったのは、紀元前5年か6年頃と考えられています。マタイは、そのイエスがベツレヘムでお生まれになった時、東方から博士がやってきたことを記録しています。エルサレムの東方には、バビロンがあり、そこは紀元前6世紀、バビロンとの戦争で、ユダヤ人が捕虜として移住させられた地方でした。ですから、そこでは旧約聖書に書かれた、全人類の救い主誕生の預言もよく知られており、そこから博士たちが来たことも不思議ではありません。
他方、博士たちを導いたこの不思議な星は何であったのか、星の大爆発、流れ星、彗星など、様々な説が考えられています。その中で、最も妥当と思われているのは、天文学者のケプラーが唱えたもので、800年に一度、火星と木星と土星が大接近する会合説です。実際にそれは、紀元前6~7世紀頃に起こったとされています。ただ私は聖書に書かれていることを、何でも科学的、合理的に説明する必要もないのかな、と思うところがあります。
そもそも私たちが信じる神は天地万物をお造りになったお方です。超自然的な特別なしるしを起こすことなどお安い御用でしょう。神に不可能はありません。神が世に不思議を起こしてまでも知らせたかったこと、それは、人類が神に愛されていることでした。
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