困難の中にあるダビデの信仰①
- 出演者
- 羽鳥頼和
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
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- アップロード日
- 2024.07.22
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] サムエル記第一 27章
[旧約聖書] サムエル記第一 29章
- 放送日
- 2024.07.22
「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
人はこの世で生きていくために、誰もがうそをついたり、人をだましたりしてしまいます。
この世で、清く正しく生きることは難しい。いや、そもそもそのように生きるのは無理なのかもしれません。
今日は、この世で人をだまさなければならなかったダビデと、不信仰に陥ってしまったサウルについて旧約聖書からお話しします。
サウルは、神に選ばれてイスラエルの最初の王となりました。サウル王は、羊飼いであったダビデのことを気に入って、自分のところに召し抱えました。
そのころ敵対関係にあったペリシテがイスラエルと戦おうと出てきました。ダビデは、ペリシテ人の勇者、巨人ゴリヤテとの一騎打ちで、ゴリヤテを倒したのでした。それでダビデは勇者として大人気となりました。それを知ったサウル王は、ダビデをねたんで、ダビデを殺そうとしたのでした。このころサウルは、自分の王としての権力を誇って、神への信仰を失ってきていたのです。
こうして、ダビデは、逃亡生活をすることになります。イスラエル国内にいては殺されてしまうと考えたダビデは、敵のペリシテの都市ガテの王のアキシュのところに行き、イスラエルからペリシテに寝返ったふりをします。ダビデは、アキシュをだましてペリシテ人の地で一年四ヶ月隠れていました。
そんな中で、再びペリシテとイスラエルが戦うことになりました。アキシュ王は、ダビデを連れてペリシテの陣営に入ります。ダビデは、愛する母国であるイスラエルと戦わなければならない状況に置かれてしまったのです。
聖書は、この世が、信仰を持って生きるのがとても難しいことを語っています。その世の中で人は人をだましたり、神への信仰を失ってしまったりするのです。
しかし、聖書は、そんな世で、信仰を失わずに生きることを教えようとしているのです。
ダビデは、神が正しいお方なので、自分も神にさばかれることを覚悟していました。
ダビデの信仰については明日以降、聖書からお話しします。明日以降もぜひお聴きください。
人はこの世で生きていくために、誰もがうそをついたり、人をだましたりしてしまいます。
この世で、清く正しく生きることは難しい。いや、そもそもそのように生きるのは無理なのかもしれません。
今日は、この世で人をだまさなければならなかったダビデと、不信仰に陥ってしまったサウルについて旧約聖書からお話しします。
サウルは、神に選ばれてイスラエルの最初の王となりました。サウル王は、羊飼いであったダビデのことを気に入って、自分のところに召し抱えました。
そのころ敵対関係にあったペリシテがイスラエルと戦おうと出てきました。ダビデは、ペリシテ人の勇者、巨人ゴリヤテとの一騎打ちで、ゴリヤテを倒したのでした。それでダビデは勇者として大人気となりました。それを知ったサウル王は、ダビデをねたんで、ダビデを殺そうとしたのでした。このころサウルは、自分の王としての権力を誇って、神への信仰を失ってきていたのです。
こうして、ダビデは、逃亡生活をすることになります。イスラエル国内にいては殺されてしまうと考えたダビデは、敵のペリシテの都市ガテの王のアキシュのところに行き、イスラエルからペリシテに寝返ったふりをします。ダビデは、アキシュをだましてペリシテ人の地で一年四ヶ月隠れていました。
そんな中で、再びペリシテとイスラエルが戦うことになりました。アキシュ王は、ダビデを連れてペリシテの陣営に入ります。ダビデは、愛する母国であるイスラエルと戦わなければならない状況に置かれてしまったのです。
聖書は、この世が、信仰を持って生きるのがとても難しいことを語っています。その世の中で人は人をだましたり、神への信仰を失ってしまったりするのです。
しかし、聖書は、そんな世で、信仰を失わずに生きることを教えようとしているのです。
ダビデは、神が正しいお方なので、自分も神にさばかれることを覚悟していました。
ダビデの信仰については明日以降、聖書からお話しします。明日以降もぜひお聴きください。
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