喪失

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2024.04.30
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 創世記 3章
放送日
2024.04.30

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。
神様は、人を、価値のない土地のちりから形造られました。人は、もろく、弱い存在として作られました。そして、神様は人をエデンの園に住まわせたのです。すべての必要を神様は満たしてくださいました。しかし、「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と神様は禁止命令を出されたのです。これは、善悪の判断は、人ではなく、神様がなさることだよ、ということを示すものでした。「善悪の絶対的な基準は、神の領域にあるのだ」ということを示すために神様が置かれたものでした。しかし、人は蛇の姿をしてやってきた誘惑者のことばに引き込まれ、その実を取って食べてしまいました。
はたして「神のようになれる」と考え実を食べたのですが、その結果はどうなったのでしょう。人は、神のようになれたでしょうか。いいえ、もちろんなれませんでした。善悪の知識の実を食べて、つまり神のようになろうとする誘惑からもたらされるものは、いったい何だったのでしょう。それは、神様との親しい関係を失っていくというものでした。人は、いつのまにか、神様から隠れようとする者となっていきました。それまでは、人は、裸のままで神様の前で安心して生活することができていたと書かれています。「裸であった」というのは、非常に象徴的なことばですね。それまでは、神様の前に安心してありのままの自分でいることができたのに、今は神様から身を隠す存在となってしまった、というのです。つまり、神様との親しい関係が破壊されてしまったのです。この神様との関係がずれてしまった状態を聖書では「罪」と言っています。ですから、聖書が教える「罪人」とは「神様との関係がずれてしまった人」という意味のことばなのです。人は創造者なる神様から離れ、関係がずれてしまったために、恐れ、迷い、さまよい、不安をもって生きるようになってしまいました。
「分離不安」ということばがあります。それは、幼い子が母親から離れたときに味わう不安のことです。それと同じように、人は創造者なる神様から自ら離れていったため、本当の安息を持つことができなくなってしまったのです。その状態を「霊的な死」ともいうのですね。人は、善悪の知識の木の実を食べて、神様との関係がずれてしまったのです。

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