わたしが命のパンである

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2024.04.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章47節
放送日
2024.04.17

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は、「わたしが命のパンである」という題でお話しましょう。イエス・キリストは同じことばを6章35節でも語りました。大切なことは何回でも繰り返すものですね。今日、私たちももう一度、イエス様が私たちの身体と魂と霊にとって、生きるいのちを与えるパンであることを確認したいのです。ヨハネの福音書6章47節からです。
 さて、イエス様は人々に向かってこう言われました。「よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる人は永遠のいのちを持つ。わたしはいのちのパンである。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった」マナとは、イスラエルの先祖たちが荒野で自分たちの胃袋を満たすために食べたパンでした。このマナも、天の父なる神様から与えられたものでした。しかし、このマナは人々の胃袋を満たすことがあっても、人々の魂や心を満たすことはできなかったのです。人はパンだけで生きるものではないからです。神のことばによって生きるものである、と聖書にありますね。では、私たちの魂や心を養い、永遠のいのちを与えてくださるお方は、誰でしょうか。それは神のひとり子イエス・キリスト以外にはありません。「わたしを信じる人は永遠のいのちを持つ。わたしはいのちのパンである」とイエス様は言われました。そしてまた、こう続けて言われたのです。「天から下って来たパンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下って来た生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう」イエス様はいのちのパンである。わたしを食べなさい、と天の食卓へ私たちを招いているのです。天から下ってきたパンを食べる人は決して死ぬことはありません。私たちは自分の胃袋を満たし、生きるためにパンを食べ、食卓に来るのです。私たちは自分の魂や心が生きるためにイエス様の招きに応え、イエス様を信じて、神様の食卓に着き、永遠のいのちをいただきたいのです。
イエス様はご自分を天から下って来た生きたパン、と呼びました。生きたパンを食べますと、私たちも生きるのです。では、私たちを生かすパンとは何ですか。それは神のことばです。私たちは身体を満たすパンだけで生きていくことはできません。心や魂を満たすことばによって生きていくことができるのです。なぜなら、ことばは天地の始まりから神と共にあり、ことばは神であった、とこのヨハネの福音書の冒頭にありました。

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