信仰のみによって~宗教改革記念②~

出演者
岩井基雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2023.10.31
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ローマ人への手紙 3章28節
放送日
2023.10.31

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
今日は10月31日。キリスト教会では、マルチン・ルターによる宗教改革が始まったことを記念する日です。それを記念して5つのソラを学びます。ソラとはラテン語で「~のみ」という意味で、聖書のみ、信仰のみ、恵のみ、キリストのみ、神の栄光のみの5つです。
今日は「信仰のみ(ソラ・フィレ)」です。 宗教改革は、マルチン・ルターが1517年10月31日、ヴィッテンベルク城教会の門の扉に95ヶ条の提題を貼り出したことに始まります。それは、皆で議論を深めるための質問状で、その中心は信仰によってのみ人は義と認められ、救われるという信仰義認に関することでした。
この義とは、神の前の正しさのことで、神が義と認めてくださるとは、罪が赦されることも示しています。聖書の中に次のようなことばがあります。「人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです」新約聖書ローマ人への手紙3章28節
ルターはこの箇所をドイツ語で「人が神に義と認められる、救われるのは、律法の行いなんかによるのではない。それはただ信仰のみによるのだ」と心に届く表現で訳したのです。 当時、ルターはどうすれば神の義に達することができるかと考えていました。「私たちの努力ではそこに達することはできない。むしろ、私たちに神の義である救いをもたらすために、神の御子キリストが来てくださった。私たちが努力して神の国に行くのではなく、神の国であるキリストが私たちのもとに来てくださったのだ。それを私たちは信じるだけで良いのだ」と思い至ったのです。 「神の子キリストがこの地上に来て、私たちの罪の身代わりに十字架にかかってくださったことを私たちはただ信じ受け取るだけでいい、ただ信仰のみによって人は救われる。これが福音だ」とルターは全身が打ち震えるほどの喜びを持って確信したのです。
確かに正しい行いは大切です。しかし、神の前に自分の罪を悔い改め、救い主イエス・キリストを信じる信仰のみによって私たちは神に義と認められます。そして義と認められた者こそ正しい行いができるのです。

コメント

中野周治
『神様は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを御与えになります!』罪人の死は、罪人を救う事が出来ません!罪の無い神の一人子イエス・キリスト様の罪人の身代わりの死だけが罪人を救う事が出来るのです!

コメントを削除する

このコメントを削除しますか?

パスワード

もっと見る

コメントを投稿する

お問い合わせ