神のみ心を求める

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.09.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 5章30~32節
放送日
2023.09.20

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「神のみ心を求める」という題でお話しましょう。
 神の子イエス様の生涯は、ひたすら天の父なる神様のみ心を求めてやまない生涯でした。今日は、ヨハネの福音書5章30~32節からお話ししましょう。
 まずは30節「わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである」
 ここで、「わたしは、自分からは何事もすることができない」とは、「わたしは天の父なる神の子どもであるから、自分の考えや意志では何もしない」と言っているのです。別のことばで言えば、「わたしは父なる神の僕です」と言っているのではないでしょうか。
 次に、「ただ聞くままにさばくのである」父なる神様のことばを聞いて判断をくだします。ここの「さばく」ということばは聖書学者によりますと「教え」に属することばでもあると言っています。イエス様は、父なる神のことばである旧約聖書の教えを基準にして教え、判断をくだしました。だから、イエス様のさばきは正しいのです。
 そして、第3に「わたしのさばきは、私自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたのみ心を求めているからである」と語りました。神の子イエス様は、自分の意志だけではなく、自分の理性で考える時も、自分をこの世に遣わした父なる神様のみ心を考えて、神が喜ぶことは何かを考え行動したのです。
 もうひとつ、神の子イエス様が心がけたことがあります。イエス様は自分で証言する証言は、証言ではないと言っています。自分ですることではなくて、他の2、3人の人々が証言する証言が真実となるのです。イエス様が、神の子であることの証言は、すでに旧約の預言者や洗礼者ヨハネによって証言されました。
 とにかく、私たちも、神の子イエス様にならって、天の父なる神のみ心を求める人生でありたいものです。父なる神に喜ばれる日々でありたいものですね。

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