生ける主を求めて

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.09.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 42篇1節
放送日
2023.09.06

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。今週はイエス・キリストがお語りになったたとえ話から、祈りについてご一緒に考えています。前回は、神様はご自分の面子にかけても私たちの祈りを聞いてくださる方だというお話をいたしました。祈りを聴いてくださる神様がおられるというのはなんと幸いなことでしょう。
旧約聖書の詩篇42篇1節には「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは 神を 生ける神を求めて 渇いています」と記されています。
私たちが神様を信頼し生きようとするとき、ときどき自分勝手な思い込みを持ってしまうことがあります。その一つは、神様を信じたら良いことがある、神様を信じたらすべてうまくいく、という思い込みです。でも、神様を信じていたらすべてうまくいく、と考えてしまうと、調子が悪くなったり、苦しみ、病気などが起こると、「なんで神様は、こんなことをなさるのか。神様なんて信じられない。ちっともうまくいかない」それで終わってしまうのです。
もう一つの思い違いは、「神様を信じれば、問題が襲って来ても悩んだり落ち込んだりはしない」という思い込みです。もし悩んだり落ち込んだりしてしまうと、ああそれは自分には立派な信仰がないためだと自分を責めてしまうのです。こうした生き方もいつしか疲れ、つまずいてしまいます。
しかし、聖書の教えている信仰のあり方は、そういうものとは違います。「自分」が中心にならないのですね。たとえ困難があっても、悩みの中にあっても「神様はなお私を愛してくださる」「神様がなお私を導いてくださる」「神様が祈りを聴いてくださる」と、いつも主語が自分ではなく神様に置き換えられて生きていくことができるのです。
この詩篇の作者は「生ける神を求めて渇いています」と記していますね。生きている神様に求めるのでなければ、その求めはむなしいものです。この詩篇の作者は、人生最大の困難の中で、渇きを覚え、苦しみが襲ってきた時、「こんな苦しみがあるのだから、もはや神などいない」とは告白しませんでした。生ける神様を慕い求めたのです。
神様を否定して、問題の解決を得ることはできません。神様をのろって、道が開かれることはありません。自分では理解出来ない苦しみがあるからこそ、その葛藤の中で、私たちは、生ける神様に祈り求め続けていくのです。

コメント

中野周治
ヨブの信仰を見習え!

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