悲しむ者は幸いです

出演者
岩井基雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2023.08.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 5章5~8節
放送日
2023.08.17

いいね登録

     登録数:12

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。
この番組では一昨日から、「幸い」について一緒に考えています。昨日は「心の貧しい者の幸い」を考えました。今日は、その続きです。お読みします。
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです」(新約聖書 マタイの福音書5章4節)
これも不思議なことばです。悲しんでいない人を私たちは「幸い」だと考えるからです。しかし、この幸いとは、Happy やLuckyのような表面的な幸いではなく、 Be Blessedとして表現される、神様からの祝福と恵みを表す「幸い」であることも学びました。
「悲しむ者は、慰められる」とはどう言うことでしょうか。「心の貧しい者」に続く、「悲しむ者」とは、自分の心の貧しさに悲しむ者、自分の罪深さに涙する者のことを示しています。神様の前に、心砕かれて、罪を認める者を、神様は豊かに祝福し、その悲しみを慰めてくださいます。
その慰めは、単なる慰めに留まりません。それは罪の赦しという祝福を伴っているのです。それは、このことばを語る神の御子イエス・キリストこそ、神の在り方を捨てて、この地上に人として来られ、私たちの罪が赦されるために、私たちの罪の裁きを身代わりに受けるために十字架で死んでくださったからです。ですから、神の前に自分の罪を認め、キリストを自分の救い主として信じる者に、すべての罪を赦す祝福と、すべての悲しみを慰めて、恵みに変えてくださるという祝福を与えてくださるのです。
自分の心の貧しさを認め、自分の罪を悲しむ者は、神様の豊かな愛と祝福を受け取り、「天の御国はその人のもの」、また「その人たちは神様からの真の慰めを受ける」ことが出来るのです。
それに続く、キリストが語られた「幸い」「祝福」をお読みします。罪を認め、悲しみ、慰めを受ける者が、どう変えられていくのかという希望もここに記されています。お読みします。
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」(新約聖書 マタイの福音書5章5~8節)

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ