心の貧しい者は幸いです

出演者
岩井基雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 元気をもらいたいとき

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アップロード日
2023.08.16
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 5章3節
放送日
2023.08.16

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
昨日のこの時間は、「平和をつくる者の幸い」をともに考えました。今日は、キリストが教えた「山上の説教」の最初、「心の貧しい者は幸いです」ということについて、一緒に考えてみましょう。今日の聖書をお読みします。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」(新約聖書 マタイの福音書5章3節)
不思議なことばですよね。「心が豊かな者、心が満ちている者は幸いです」と言うのなら、分かりやすいのですが、キリストは「心の貧しい者は幸いです」と語りました。それは心の卑しい人や、心の狭い人のことではありません。神様の前に、自分の霊的な貧しさを知っている人、すなわち自分の心の貧しさを正直に認め、心砕かれた者のことを指しています。
神様が忌み嫌うもののリストが聖書の中にあるのですが、その一番最初が「高ぶる目」、すなわち傲慢さや高慢さです。自分の傲慢さを認めることは勇気が必要です。しかし、それを認めてへりくだる者にこそ、神様は本当の「幸い」を与えてくださるのです。
ここに登場する「幸い」には、聖書本来のことばのギリシャ語では「マカリオイ」ということばが使われ、英語にすると、Happy や Lucky ではなく、Be Blessed ということばです。それは、神様に祝福されていることを表す「幸い」です。私たちが考える幸いは、問題がなく、状況が整い、うまく事が運ぶというような幸いのことですが、聖書が語る本当の幸いは、どんな苦難や痛み、問題や悲しみがあろうとも、神様が祝福してくださっているという「幸い」、どんな状況にも揺るがされることがない、真実な「幸い」なのです。
神様の前に自分の心の貧しさや傲慢さ、すなわち自分の罪を認め、悔い改めて、神様の憐れみの中に自分の身を置く者に、神様は天国へと導く祝福を与えてくださいます。「天の御国はその人たちのものだからです」と語られているとおりです。天の御国がその人のものとされること、それは何という祝福でしょうか。
どのような困難や危険が迫ろうとも、神様からの天の祝福を私たちが自分のものとするとき、それは何ものにも変えることができない幸い、祝福なのです。

コメント

中野周治
『神様は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを御与えになります!』

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