ルカの福音書 131
- 出演者
- 大嶋重徳
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 一歩踏み出したいとき
もっと詳しく見る
- アップロード日
- 2023.08.03
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 6章
- 放送日
- 2023.08.03
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週は、イエス様がなされた「平地の説教」と呼ばれる箇所を一緒に学んでいます。神様の前で自分の信仰の貧しさを知っている人は幸いだとイエス様はおっしゃいました。さらにここでは「不幸な者」についても記されています。では、どんな人が不幸な人なのでしょうか。ここにあるのは、「富んでいる」人「食べ飽いている」人「笑っている」人「褒められている」人とあります。ここに「笑い」がありますが、笑ってはいけないのかというと、そうではなく、ここの「笑い」は皮肉に満ちた笑いです。「所詮、神様なんか求めても一時の気休めだ」と。人を蔑む、嫌な笑いのことです。「褒められる」とは、自分を大きく見せて人から得る報いのことです。つまり、神様など求めなくても生きていけると思って、満ち足りている「人間の不幸」が語られているのです。
その不幸を歩んでいる人は、「やがて飢えるようになる」「やがて悲しみ泣くようになる」と記されています。この「やがて」とは何時のことでしょうか。「やがて」の日。つまり人生を終える「終わりの日」を聖書は語ります。人が人生を終える時に、人は神の前に立つのです。これはどうしようもない厳然な事実です。今までの人生で、どれだけお金を貯めたとしても、人から褒められたとしても、地上で栄誉を受けたとしても、老後の貯蓄が十分に貯められたとしても、「やがて」の死んだ後の保証にはならないのです。
そして、この「やがて」は永遠に続く始まりの「やがて」です。地上の人生のようにあっという間に終わる短さではありません。そこで「飢えるようになる」「悲しみ泣くようになる」飢えと悲しみの悲惨さを神であるキリストは問いかけられるのです。
もし、ラジオのお聴きのみなさんで「いつかは信仰を持とう」「いつかは洗礼を受けよう」そうお考えの方もおられるでしょう。しかし、私たちはいつ人生を終えるかは誰にも分かりません。冷ややかに「まだ大丈夫だ」などと、自分だけは笑っているわけにはいかないのです。この「やがて」の決定的な不幸を前に、神はあなたには幸せに生きてほしいと願われています。この神を求める幸せに生きていっていただきたい。そのように心から願い、お祈りをしています。
その不幸を歩んでいる人は、「やがて飢えるようになる」「やがて悲しみ泣くようになる」と記されています。この「やがて」とは何時のことでしょうか。「やがて」の日。つまり人生を終える「終わりの日」を聖書は語ります。人が人生を終える時に、人は神の前に立つのです。これはどうしようもない厳然な事実です。今までの人生で、どれだけお金を貯めたとしても、人から褒められたとしても、地上で栄誉を受けたとしても、老後の貯蓄が十分に貯められたとしても、「やがて」の死んだ後の保証にはならないのです。
そして、この「やがて」は永遠に続く始まりの「やがて」です。地上の人生のようにあっという間に終わる短さではありません。そこで「飢えるようになる」「悲しみ泣くようになる」飢えと悲しみの悲惨さを神であるキリストは問いかけられるのです。
もし、ラジオのお聴きのみなさんで「いつかは信仰を持とう」「いつかは洗礼を受けよう」そうお考えの方もおられるでしょう。しかし、私たちはいつ人生を終えるかは誰にも分かりません。冷ややかに「まだ大丈夫だ」などと、自分だけは笑っているわけにはいかないのです。この「やがて」の決定的な不幸を前に、神はあなたには幸せに生きてほしいと願われています。この神を求める幸せに生きていっていただきたい。そのように心から願い、お祈りをしています。
コメント
番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。