ルカの福音書 130

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.08.02
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 6章
放送日
2023.08.02

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。鳩ヶ谷福音自由教会牧師の大嶋重徳です。今週は、ルカの福音書6章で、イエス様がなされた「平地の説教」と呼ばれる箇所を一緒に学んでいます。神の前で自分の信仰の貧しさを知っている人は幸いだとイエス様は言われました。太宰治はこの箇所を1節読んでは立ち止まり、また1節を読んでは立ち止まり、なかなか前に進むことは出来なかったと言います。それほど深淵な教えであり、また、驚く生き方が記されています。
私の母は京都の福知山というど田舎の長男の嫁として嫁いできました。何代も続く大嶋家の長男の嫁が「どうして教会になんか行っているんだ」と批判されているのを目の当たりにしました。子どもながらに母が教会に行くのを辞めたら、丸く収まるのにと思ったこともありました。しかし、イエス様を捨てて丸く収まる関係など、母にとって幸せでは無かったのです。神様からしか得ることのできない慰め、ぬくもり、心の平安が母の心を支えていました。どれだけ自分に悪く言う親戚、小姑がいたとしても、母は教会に通い続けたのです。私が学生の頃、聞いたことがありました。「お母さん。よく信仰を捨てなかったよね。」しかし、母は「私には神様しかなかったからなあ」と言いました。それはカルト的に逃げられない、と縛られていたからでは決してありません。小学校の教員として働く上でも、子どもたちを愛し子育てをしていく上でも、母にとっては、この神様とともに生きることが決定的な意味を持っていたからです。
そして今朝、イエス様は私たちに問われます。あなたは今、自分の貧しさを認められますか。自分の魂が本当はカラカラに乾いていることを認めますか。自分が疲れ果て傷ついていることを認めることが出来るでしょうか。
ここを認めることが出来る時、私たちは本当に自分に必要なものを得ることが出来るとイエス様はそうおっしゃいます。そして、もし自分の貧しさ、自分の飢え渇き、自分の涙を認められなくなっているのならば、本当の意味で幸せになる道のりを歩くことが出来なくなるのだとおっしゃいます。私たちは今日、神様を真剣に求める心の貧しさを求め、神とともに生きる幸せを歩んでいきたいと思います。

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