ルカの福音書 128

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.07.31
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 6章
放送日
2023.07.31

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。鳩ヶ谷福音自由教会牧師の大嶋重徳です。
今週は、新約聖書ルカ6章の「平地の説教」と呼ばれる箇所のお話をしたいと思います。「説教」と言っても「お説教」ではなく、イエス様の怒った話でありません。「平地」、「平たい所」と呼ばれるこの場所に、イエス様の教えを聞きに来た人たちがたくさんいました。病気の人、汚れた霊に悩まされている人も集まって来ていました。そして群衆の誰もが何とかしてイエス様に触ろうとしていたのです。触ろうとした理由は、「大きな力がイエスから出て、癒やしたからだ」と聖書に記されています。
私たちが神様の存在を求める時とは、難しいことを聴きたい時ではないと思います。神という大いなる力に触れたいという気持ちがあるのだと思います。病気になって手術まで精一杯の準備をしてきた。あとできることは人間をはるかに越えた大きな力を頼りたいと思う。この時の「イエスに触りたい」という思いは、温度感が欲しいという思いもあったでしょう。神様の暖かさとも言えるでしょうか。孤独に生きている。どんな理念や理屈よりも、慰めに満ちた暖かいぬくもりが人の力になるということがあります。私もお腹が痛いとき、母が手を当ててくれたぬくもりが、痛みを和らげてくれたことを思い出します。
ここに集まってきた人たちは病気でした。彼らは「なぜ自分なのだろうか」あるいは「この病気のせいで自分が死んだならば、どうなるのだろうか」という恐怖も募ってきたでしょう。眠れない夜を過ごし不安な時を過ごす時に、私たちは何かに触れたいという思いを持ちます。自分のそばに寄ってきてくれるペットの存在は、何を言うでもなく、側に寄ってきて、膝の上に乗ってくれる時、温かいぬくもりがあり、確かに慰めがあります。聖書の示す神は、イエス・キリストに現された人間となってくださり、触ろうと思うならば、触る事が出来たぬくもりのある神でした。イエス様の手のぬくもりを、イエス様の眼差しの優しさを想像する時に、私もイエス様に触れたいと願う者の一人であることを、自分で思います。
 今日、神様を求める時、心にぬくもりを覚える事が出来ます。祈る時、「私はあなたとともにいる」、そんな神様の思いが伝わってきます。今週は一緒に「貧しい人は幸い」と語られたイエス様のことばに耳を傾けていきたいと思います。

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