待ち続ける父の姿

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.07.08
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 15章
放送日
2023.07.08

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
今週はルカの福音書15章にでてくる3つの「たとえ話」からお話をしていますが、今日は放蕩息子の「たとえ話」です。
父の財産を譲り受けた放蕩三昧したこの息子は、人生どん底の状態に置かれたとき、我に返り、父の元に返る決心をしました。雇い人の一人として雇ってもらおうと彼は考えていましたが、父は、帰ってくる息子を見つけると走り寄って、指輪をはめさせ、大祝宴を催したのです。この父親の姿こそ、神様の姿を現しているのですね。あなたは、神様のこのような姿を想像したことがありますか。
神様のほうで、私たちの帰りを待ち続けておられ、私たちが神様のもとに帰ろうとする時、神様のほうから走り寄ってきて「我が息子よ、我が娘よ」と迎え入れてくださるのです。
しかも、父は息子を叱責することも非難することも軽蔑することもしませんでした。ただただ、帰ってきた息子を喜び迎え入れたのです。
神様は「あなたが100%心を入れ替えたら受け入れてあげよう」「あなたがきちんとした生活ができるようになったなら迎えよう」という方ではありません。この放蕩息子のようにちょっといい加減なところがあっても、神様のもとに帰ろうとするとき、神様は無条件で受け入れてくださり、「わたしは、あなたと共に生きることが私の大きな喜びなのだ」と言ってくださる方です。
ところが、残念ながら、多くの人は、聖書の神様をそのような方だとは考えません。「神様がそう簡単に受け入れてくれるはずがない」とか、「神様は、私がもっと立派になったら受け入れてくださるかもしれない」「私がもっと品行方正なすばらしい人物になったら、神様は喜んで迎えてくださるかも知れない」と、そんなふうに考えてしまうのです。しかし、そのように考えている限り、結局、神様のもとに帰ることはできませんし、いや…帰れないですね。
私たちの神様は、羊や銀貨を捜し求めるあの持ち主のように私たちを熱心に捜し求めてくださる方です。また、この放蕩息子の父親のように息子が帰ってくるのを待ち続けている忍耐深いお方です。そして、私たちが、神様のもとに帰ろうとするなら、見つけて、走り寄って、抱きしめて、無条件で迎え入れてくださる方なのです。人は、無条件に受け入れられるとき、つまり、ありのままを受け入れられるとき、以前とは違う新しい生き方が始まっていくのですね。そんな人生を神様は願っているのです。

コメント

中野周治
♪イェスは、なれを呼びたもう♪いともの静かに♪愛の神の元より♪などて去りしと♪帰れやー!帰れやー!帰れやー♪と主は今、呼びたもう!♪イェスは尚も忍びて♪なが身を待つなり♪来たれ!罪と汚れの♪あらばあるまま!♪帰れやー!帰れやー!帰れやー!♪と主は今、呼びたもう!♪

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