悪に報いてやろう
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 人を許すことが出来ないとき
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2023.07.01
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 箴言 20章22節
- 放送日
- 2023.07.01
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
「継続は力なり」日々聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。
今日は「悪に報いてやろう」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。
「『悪に報いてやろう』と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。」旧約聖書 箴言20章22節
20章の後半、少し、箴言の著者が語っていることをなぞっていくような形で見てまいりましょう。まず箴言の著者は、勤労を大事にすることを教えます。また、人間をよく知ることだと言います。人間というのは、散々ケチをつけて、物を値切りながら、ひとたびこれを手にすれば掘り出し物と自慢するものだと。また、よそ者はどこまでもよそ者です。そう簡単に身内にはならない。確かにわかる気がしますね。さらにお金を貸したら戻ってくるとは考えないことだと言います。そして、人を騙したら、そのしっぺ返しは必ずあると思いなさいと言います。
物事はよく考えて実行すべきです。つまり、人の意見をよく聞いて、落としどころを見つけながら、実行可能な計画を立てることだと言います。口の軽い人とは、付き合わないことです。あれやこれや言いふらされて恥を見るのは明らかです。神の正義が貫かれると信じるなら、復讐は神に委ねることです。自分で何とかしようと思わずとも、神が片を付けてくださいます。たとえ、このままじゃ浮かばれないと焦ることがあっても慌てない、神が動いてくださいます。神はごまかしや嘘が大嫌いですから、いずれ、ものごとの帳尻を合わせてくださるのです。
ですから、神の正義がこの世を支配していると信じ、余計な心配をせず、神に一切をお任せして誠実にすべきことをすることだと言います。この世の社会は、神の正義が貫かれる方向に動いているのです。そして、人間には神から与えられた霊、すなわち良心があるというのなら、やはり、神が教えられていることに、よく耳を傾けることです。それは、人間のよりよい明日を築くためのものだからです。
では、今日もよき一日となるように祈ります。
「継続は力なり」日々聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。
今日は「悪に報いてやろう」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。
「『悪に報いてやろう』と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。」旧約聖書 箴言20章22節
20章の後半、少し、箴言の著者が語っていることをなぞっていくような形で見てまいりましょう。まず箴言の著者は、勤労を大事にすることを教えます。また、人間をよく知ることだと言います。人間というのは、散々ケチをつけて、物を値切りながら、ひとたびこれを手にすれば掘り出し物と自慢するものだと。また、よそ者はどこまでもよそ者です。そう簡単に身内にはならない。確かにわかる気がしますね。さらにお金を貸したら戻ってくるとは考えないことだと言います。そして、人を騙したら、そのしっぺ返しは必ずあると思いなさいと言います。
物事はよく考えて実行すべきです。つまり、人の意見をよく聞いて、落としどころを見つけながら、実行可能な計画を立てることだと言います。口の軽い人とは、付き合わないことです。あれやこれや言いふらされて恥を見るのは明らかです。神の正義が貫かれると信じるなら、復讐は神に委ねることです。自分で何とかしようと思わずとも、神が片を付けてくださいます。たとえ、このままじゃ浮かばれないと焦ることがあっても慌てない、神が動いてくださいます。神はごまかしや嘘が大嫌いですから、いずれ、ものごとの帳尻を合わせてくださるのです。
ですから、神の正義がこの世を支配していると信じ、余計な心配をせず、神に一切をお任せして誠実にすべきことをすることだと言います。この世の社会は、神の正義が貫かれる方向に動いているのです。そして、人間には神から与えられた霊、すなわち良心があるというのなら、やはり、神が教えられていることに、よく耳を傾けることです。それは、人間のよりよい明日を築くためのものだからです。
では、今日もよき一日となるように祈ります。
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