神の知恵に聴く-2 箴言17:17

出演者
原田憲夫
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.06.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 箴言 17章17節
放送日
2023.06.13

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。今週担当の巡回宣教使・原田憲夫です。今日は、「神の知恵」旧約聖書 箴言17章17節に、ご一緒に耳を傾けたいと思います。お読みします。「友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。」
今日の箴言は「友はどんなときにも愛する…」と語りますが、すぐに「そんなの無理じゃ」という声が返ってきそうです。ところが、それでいて自分の期待と違う場面になると、「もうお前なんか親友でも何でもない!絶交だ!」って口走る。
それは心のどこかで「友とはどんなときにも頼れる仲間」だと思っているからではないでしょうか。少し見方を変えてみます。
例えば、同じ学校に通っていても、あるいはご近所の人だからといっても、「友」とは限りません。多くの場合、顔は知っていても、「ただ通り過ぎて行く人」にすぎません。お互いの関係の距離が遠いのです。
ところが、違う学校から集まる活動サークルや、遠くの郷里にはいわゆる苦楽を共にする仲間がいます。共に何かをしたり、考えたり、悩んだりする仲間です。お互いの関係の距離が近いのですね。
ずいぶん昔、ある新聞の投稿欄に、一人の老人の文章が載りました。「冬の寒い朝、刑務所を出て、一人とぼとぼと道を歩いていた。すると、落ち葉でたき火をしていた女子高生たちに、『おじさん、あたっていかない』と、声を掛けられた。全く思い掛けないことばに、私は全身がふるえるほど感激し、ああ、新しく人生をやり直す力を与えられた。」
女子高生たちがこの老人に声をかけた瞬間、「ただの通り過ぎて行く人」から「同じ暖をとる仲間」に変わったのです。関係の距離を縮めた一言でした。
今日の神の知恵(箴言)が語る「友」という原語(ヘブル語)のルーツは、「愛」だといいます。友は「愛する人」と切り離せないのです。実はこのことを、身をもって表されたお方が、罪のない救い主イエス・キリストです。
そうです。キリストは心に闇、罪を抱えて苦しみ喘ぐ私たち人間を友と呼び、そして私たちの心の闇、罪をすべて引き受け、十字架の上でご自分のいのちを投げ出し、救いをもたらされました。天と地以上の関係の距離を、身をもって縮められたのです。
あなたも今日、あなたを友と呼ぶ救い主イエス・キリストを心に迎えませんか。あなたの人生がきっと変わります。

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