苦しみを味わいつくされた主イエス
- 出演者
- 岩井基雄
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 孤独や悲しみを覚えるとき
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2023.04.19
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] マルコの福音書 15章36、37節
[新約聖書] ルカの福音書 23章46節
- 放送日
- 2023.04.19
「世の光」の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。
私たちはできるだけ苦しみを避けたいと願いますし、苦しみが緩和される方法を選びたいと願いますね。誰も喜んで苦しむ人はいないでしょう。
イエス・キリストが十字架にかけられた出来事から学びたいと思います。この十字架刑は、ローマの死刑の方法で、簡単には人を殺さない惨いものでした。それゆえ、痛みを緩和させるための酸いぶどう酒が、死刑囚には提供されました。しかも、それは流れでる血による渇きを緩和させる方法でもあったようです。しかし、イエス・キリストはそれをお受けには、ならなかったのです。
聖書はこう記しています。「すると一人が駆け寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒に付け、「待て。エリヤが降ろしに来るか見てみよう」と言って、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。」新約聖書マルコの福音書15章36~37節
痛みの緩和のための酸いぶどう酒も、キリストはそれを受けませんでした。徹底して苦しみを味わい抜いてくださったのです。それは私たちの救いのためでした。キリストが苦しみをすべて受けてくださったゆえに、私たちの赦しの道が開かれたのです。
しかもキリストの場合、肉体的、精神的苦痛に加えて、父なる神様から完全に見捨てられ、私たちの身代わりに裁かれるという霊的な苦痛さえも伴っていたのです。
キリストが父なる神の裁きを受けとり、逃げることも、避けることもせずに、苦しみのすべてを受けてくださったからこそ、私たちの罪の赦しの道が開かれたのです。そこにこそ、私たちの罪の赦しの道があったからです。
キリストが最期に叫ばれたことばを、聖書の他の箇所ではこう記しています。
「父よ、わが霊を御手に委ねます。」
父なる神様に心から信頼し、すべての苦しみを味わい尽くされ、すべてを父なる神に委ねた救い主キリストのことばでした。
このイエス・キリストの真実な姿のゆえに私たちは赦されることができるのです。そして、このキリストの愛のゆえに、私たちも神様に信頼し、誰かの為に、喜んで苦しみを受けることさえできるのです。
キリストはどんな時もあなたとともにいてくださいます。あなたもキリストとともに生きていきませんか。
私たちはできるだけ苦しみを避けたいと願いますし、苦しみが緩和される方法を選びたいと願いますね。誰も喜んで苦しむ人はいないでしょう。
イエス・キリストが十字架にかけられた出来事から学びたいと思います。この十字架刑は、ローマの死刑の方法で、簡単には人を殺さない惨いものでした。それゆえ、痛みを緩和させるための酸いぶどう酒が、死刑囚には提供されました。しかも、それは流れでる血による渇きを緩和させる方法でもあったようです。しかし、イエス・キリストはそれをお受けには、ならなかったのです。
聖書はこう記しています。「すると一人が駆け寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒に付け、「待て。エリヤが降ろしに来るか見てみよう」と言って、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。」新約聖書マルコの福音書15章36~37節
痛みの緩和のための酸いぶどう酒も、キリストはそれを受けませんでした。徹底して苦しみを味わい抜いてくださったのです。それは私たちの救いのためでした。キリストが苦しみをすべて受けてくださったゆえに、私たちの赦しの道が開かれたのです。
しかもキリストの場合、肉体的、精神的苦痛に加えて、父なる神様から完全に見捨てられ、私たちの身代わりに裁かれるという霊的な苦痛さえも伴っていたのです。
キリストが父なる神の裁きを受けとり、逃げることも、避けることもせずに、苦しみのすべてを受けてくださったからこそ、私たちの罪の赦しの道が開かれたのです。そこにこそ、私たちの罪の赦しの道があったからです。
キリストが最期に叫ばれたことばを、聖書の他の箇所ではこう記しています。
「父よ、わが霊を御手に委ねます。」
父なる神様に心から信頼し、すべての苦しみを味わい尽くされ、すべてを父なる神に委ねた救い主キリストのことばでした。
このイエス・キリストの真実な姿のゆえに私たちは赦されることができるのです。そして、このキリストの愛のゆえに、私たちも神様に信頼し、誰かの為に、喜んで苦しみを受けることさえできるのです。
キリストはどんな時もあなたとともにいてくださいます。あなたもキリストとともに生きていきませんか。