あなたの隣を歩くお方|イースターSP
- 出演者
- 山本陽一郎
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 孤独や悲しみを覚えるとき
- 元気をもらいたいとき
- イースター
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- アップロード日
- 2023.04.12
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 24章25節
- 放送日
- 2023.04.12
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、山本陽一郎です。
私は若い時にイエス・キリストを信じましたが、当時を振り返ると、正直、分かっていなかったなあと感じることばかりです。でも、イエス様の十字架と復活がどれほど自分にとって大切なのかを知っていくたびに、「ああ、このお方と出会えて本当によかった」という思いが深められました。
さて、イエス様が復活された日曜日のこと。2人の弟子が復活について論じ合いながら、エルサレムからエマオという村に向かっていました。すると見知らぬ人が近づいて来て、いっしょに歩き始めたのです。じつは、それはイエス様でした。でも、不思議なことに弟子たちには分かりませんでした。自分たちの先生に気づかずに、暗い顔つきで一連の出来事を説明する。そんな2人を前にイエス様はこう言ったんですね。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。」ルカの福音書24章25節
神様の約束、聖書のことばすべてを信じないことをイエス様は愚かだと言われたのです。しかし、考えてみると、それは私たちの姿でもあると思いませんか。クリスチャンであってもイエス様のことを忘れていたり、みことばを聞き流していたりすることがあります。自分の願望のために神を利用し、自分のイメージの中でしかイエス様を知ろうとしない。
それでも、イエス様は弟子たちのために、歩きながらの聖書研究会を開催しました。聖書全体から救い主、すなわちご自身について授業をなさったのです。イエス・キリストを理解するためには、論じることも考えることも大切ですが、やはり聖書そのものから学ぶことが必要なのですね。
食事の時間になりました。イエス様が祝福の祈りをし、パンを裂いて渡した時、突然2人は気がつきました。「イエス様だ!」その瞬間、イエス様の姿は見えなくなったと聖書に記されています。
今、私たちにもイエス様の姿は見えません。でも、心の目を開かせてくださるなら、こんな私たちにもイエス様がわかります。わかるようにしてくださいます。希望が見つからず、暗くなるような時でも、私たちの絶望を打ち破って復活されたイエス様があなたの隣を歩いておられるからです。私たちの希望はいつもこのお方から来るのです。
私は若い時にイエス・キリストを信じましたが、当時を振り返ると、正直、分かっていなかったなあと感じることばかりです。でも、イエス様の十字架と復活がどれほど自分にとって大切なのかを知っていくたびに、「ああ、このお方と出会えて本当によかった」という思いが深められました。
さて、イエス様が復活された日曜日のこと。2人の弟子が復活について論じ合いながら、エルサレムからエマオという村に向かっていました。すると見知らぬ人が近づいて来て、いっしょに歩き始めたのです。じつは、それはイエス様でした。でも、不思議なことに弟子たちには分かりませんでした。自分たちの先生に気づかずに、暗い顔つきで一連の出来事を説明する。そんな2人を前にイエス様はこう言ったんですね。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。」ルカの福音書24章25節
神様の約束、聖書のことばすべてを信じないことをイエス様は愚かだと言われたのです。しかし、考えてみると、それは私たちの姿でもあると思いませんか。クリスチャンであってもイエス様のことを忘れていたり、みことばを聞き流していたりすることがあります。自分の願望のために神を利用し、自分のイメージの中でしかイエス様を知ろうとしない。
それでも、イエス様は弟子たちのために、歩きながらの聖書研究会を開催しました。聖書全体から救い主、すなわちご自身について授業をなさったのです。イエス・キリストを理解するためには、論じることも考えることも大切ですが、やはり聖書そのものから学ぶことが必要なのですね。
食事の時間になりました。イエス様が祝福の祈りをし、パンを裂いて渡した時、突然2人は気がつきました。「イエス様だ!」その瞬間、イエス様の姿は見えなくなったと聖書に記されています。
今、私たちにもイエス様の姿は見えません。でも、心の目を開かせてくださるなら、こんな私たちにもイエス様がわかります。わかるようにしてくださいます。希望が見つからず、暗くなるような時でも、私たちの絶望を打ち破って復活されたイエス様があなたの隣を歩いておられるからです。私たちの希望はいつもこのお方から来るのです。