闇の中の希望 5~イースターSP

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • イースター

もっと詳しく見る

アップロード日
2023.04.07
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 19章
放送日
2023.04.07

いいね登録

     登録数:11

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
今週は受難週と呼ばれるキリスト教会の大切な一週間です。イエス様の十字架で語られた七つのことばを学びながら、イエス様の十字架の意味を思いめぐらす一週間を過ごしていきたいと願っています。
十字架上の第五のことば。それは「わたしは渇く」ということばです。すでに、大量出血で脱水症状の極みにまで至ったイエス様の体はカラカラに乾いていました。私たちの人生もまた渇いています。愛に渇き、優しさに渇き、人から羨ましがられる人生に渇いているかもしれません。しかし、それらを手に入れたように思ったとしても、やがてそれもまた渇きます。何より救いを求める魂の渇きがあります。イエス様は、この人間の渇きを身代わりに渇いてくださった、そのことばを語られました。
続く六つ目のことば「完了した」です。このことばが言われた時、エルサレム神殿の幕が上から下に真っ二つに裂けました。エルサレム神殿の幕とは、神のおられる場所と人を隔てる垂れ幕のことです。この幕の中は選ばれた大祭司だけが民の罪の赦しを求めるために傷のない子羊をささげるために入る事が許された場所です。この「完了した」というイエス様のことばが言われた午後3時、まさに神殿で動物の生贄がささげられる時間でした。この時間に神殿の幕が裂けたことが意味するのは、もう神と人とを隔てる幕が取り去られたことを意味しています。しかも、上から下へ真っ二つに裂けたのは、神様ご自身がこの幕を裂かれたことを意味しています。イエス様が傷のない子羊となってくださって、ささげものとなってくださいました。
そして、神様ご自身がご自分へと近づいてくることのできる道を、すべての人に開かれたことを意味しています。もう私たちは神殿に行かなくとも、毎年、犠牲をささげなくとも、完全な十字架の犠牲により父なる神の御前に出ることができるようになりました。救いは完了したのです。もういつでも、どこの国からでも、どの時間であっても、神様のもとへと出て行くことができるようになりました。私たちは今、イエス・キリストの御名によって祈ることができます。神殿に行かなくとも、イエス様のお名前を通って父なる神のもとへと届けられていきます。「だから、いつでも祈って来なさい。わたしを求めて来なさい。」イエス様は私たちに神の前に行くことのできる道を開かれたのです。

コメント

中野周治
イエス様が『完了した!』と言われた時、信仰によって義とされる道が開かれたのですね!

コメントを削除する

このコメントを削除しますか?

パスワード

もっと見る

コメントを投稿する

お問い合わせ