闇の中の希望 4~イースターSP

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • イースター

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アップロード日
2023.04.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 27章
放送日
2023.04.06

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     登録数:11

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
今週、受難週と呼ばれるキリスト教会の大切な一週間を過ごしています。イエス様が十字架の上で語られた七つのことばを学び、イエス様の十字架を思いめぐらす一週間を一緒に過ごしてまいりましょう。
第四のことばは、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」です。イエス様はこれまでずっと神様のことを「わが父よ」そのように呼びかけて来られました。しかし、ここで「わが神、わが神」と言われたのです。
このことばの意味は、イエス様が「父よ」と呼ぶ神の子の立場を捨て、私たち罪びとそのものの位置で叫んでおられることを意味しています。本来このことばこそ、私たちが叫ぶべき叫びでした。自分の人生を終える日、私たちは自分の罪の報いを刈り取るべき時が来ます。その時、私たちはどれだけ人生で成功をおさめたとしても、どれほどの善行を重ねたとしても、すべての人は神のまったき聖さの前で、私たちは自分の犯してきた罪が明らかにされます。その時、私たちは「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばずにはおれない人生の終わりの日を迎えるのです。
この時、十字架の周りは闇に包まれていました。人間の罪を引き受けていかれる暗闇のただ中でイエス様は救いを受けることのできる希望の光を与えようとしてくださったのです。
十字架の苦しみは、肉体の苦しみよりも父なる神との親密な交わりを失っていくことでした。「父よ」と呼ぶことのできない神に見捨てられることこそ、この悲しみこそ何より十字架の苦しみであったのです。私たちは今や「父よ」と呼べなくなることの苦しみをイエス様のようには知りません。なぜならば、このイエス様の祈りによって、キリストの十字架と復活を信じる者たちには「わが父よ」と父なる神と親密に生きることが与えられているからです。だからこそ、この受難週、私たちはもっとイエス様の与えてくださった父なる神との親密さに生かされていきたいと思います。「わが父よ」と呼ぶことのできる豊かな親しい交わりが神様から与えられているのです。
ここにこそ十字架の価値があるのです。闇の中に輝いている希望のことば。そのことばを私たちは神様から、イエスキリストから受け取っていきたいと願います。

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