ルカの福音書-115 神の愛に囲まれて

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.11.30
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 5章
放送日
2022.11.30

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
ルカ福音書を順番に読んでいます。取税人レビの用意した宴会を一緒に楽しんでおられたイエス様に断食もしない、そんな信仰のスタイルで良いのかと律法学者たちはイエス様を批判しました。彼らは、悔い改めた者たちは自分の罪に悲しんで罪を悔い改め続け、その証として祈りと断食に励むべきではないかと考えていたのです。
しかし、パリサイ人のように自分の罪に悲しみ、罪と戦い、もし私たちが罪からの勝利ができるのだとしたら、その先に待っているのはどのような信仰のスタイルになるでしょう か?必ずその人は罪に勝利できない人を裁くようになります。罪を犯している人とは距離をとるようになります。その人を愛することを止める罪を犯すようになるのです。そして、ふとした時に再び自分がまたその罪を犯してしまった時に、「ああ、もう自分は同じ罪ばかりを犯して、神様には赦されない」と神様から離れていくしかゆく道はありません。あるいは、そんな罪などを犯してもいないと、自分の罪を隠して生きて行く偽善者として生きるよりほか道はありません。
しかし、イエス様はあなたがその罪に自分で勝利できないからこそ、「私があなたの元に来たのではないか」と仰るのです。「あなたが自分の罪に勝利できないからこそ、私が十字架にかかったのではないか。私がいるじゃないか。もっと私を信頼し、もっと私とともにいなさい。私はあなたを決して捨てない」と言ってくださるのです。その時、私たちの感情は悲しみに向くのではありません。喜びへと向かっていきます。神様からいただける安心が生まれます。イエス様の教えられた悔い改めとは、自分の力で罪に悲しんで手に入れる罪に勝つ人生ではありません。そこでは、神など必要ではないからです。
はっきり言って、自分の罪に悲しむことさえ徹底することのできない私たちです。そんな自分をも受け入れ、愛してくださっている神の愛があなたを生かしてくれるのだ。この愛に取り囲まれ、この愛に応えたいと思う時に罪からの解放が本当の意味であるのだ。「してはならない」で自分を縛りつけ、人のことも縛り付けるのを止めなさいとイエス様は仰います。
私たちは罪の悔い改めの先に待っている信仰の姿を間違ってはいけません。そこにあるのは悲しみではなく、喜びです。神様が愛してくださっている喜びが溢れていくのです。

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