いつまでも残るもの -希望-

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.11.11
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] コリント人への手紙第一 13章13節
[新約聖書] ヨハネの福音書 11章25節
放送日
2022.11.11

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
新約聖書コリント人への手紙第一13:13「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。」このように書いてあります。前回は「信仰」。それはいつまでも残るのですよというお話でしたね。
イエス・キリストは決して変わることのない方です。ですから、この方を信頼し生きる、つまり信仰を持っていきるとき、そこに失われることのない、今度は「希望」、変わることのない救いと言っても良いですが、そのようなものが約束されているのです。
イエス・キリストはこう言われました。ヨハネの福音書11:25「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
「死んでも生きる」といういのち、つまり決して失われることのないいのちを与えようとイエス様は約束されました。日本語の「いのち」とは「息のうち」の省略されたことばだと言われます。つまり、「息をしているうちが人生だ。死ねば終わりだ」という至って合理的なことばだと言われます。
でも、「息のうち」を超えたいのちを与えるとイエス様は約束されたわけですね。でも、こうしたことというのは、ことばで語るだけなら簡単ですよね。「昔、イエスという人は、自分はいのちだ、よみがえりだ、なんて言っていたけど、その墓を見てくださいよ。イエスはそこに動かずに横たわっているじゃありませんか。」もし、そうならこれでおしまいですね。もしイエスが墓に横たわったままなら、イエスのことばは、ただの大言壮語にすぎない、信頼することすら愚かなことです。
しかし、聖書ははっきりこう記しているのですね。「イエス・キリストは何の罪もない方なのに、私たちひとりひとりの罪を背負い十字架に付けられました。そして、死なれました。しかし、3日目に復活され、今も生きておられるのです。」このように書かれているのです。もし、私たちのこの「息のうち」だけが、いのちのすべてだと考えるなら、人は永遠の希望を得ることは不可能です。
しかし、もし死を打ち破り、よみがえられた方がいるなら、その方が約束されたいのちは、永遠に続くと思いませんか。イエス・キリストが復活されたと言うことは、イエス様が語られた約束のすべてに太鼓判が押されていると言うことでもあるのです。
失われることのない希望に生きるということは、まだ見ぬ将来に思いを託し、永遠を見つめながら今を積極的に生きる生き方に繋がっていきます。
いつまでも残るものの二つ目は、イエス・キリストが与える希望「救い」なのですね。

コメント

中野周治
僕の希望はいつか天国に行ける希望です。

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