確かな目撃証言
- 出演者
- 関根弘興
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2022.11.07
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] テモテへの手紙第二 3章16節
- 放送日
- 2022.11.07
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
この「世の光」では、いつも聖書からお話をしていますね。いったい、聖書とはどんな書物なのでしょう。改めて簡単に説明しておきましょう。
聖書は、旧約聖書と新約聖書に分かれています。そして、旧約聖書は39の書物からなり、新約聖書は27の書物からなっているのです。合わせて66の書物が一冊にまとめられて「聖書」と呼んでいるのですね。
聖書のはじめの書物は「創世記」と呼ばれるものですが、創世記から新約聖書のヨハネの黙示録までが記されるまでに、そうですね…1500年ぐらいの間に渡って40人以上の人々が記してきました。
この40人の中には、王様がいます。農民がいます。漁師がいます。医者もいます。政治家も学者も詩人もいるし、色々な階層の出身者によって、書かれているのですね。
考えてみてください。例えば、今から1500年前といえば、日本では飛鳥時代の聖徳太子よりさらに前の時代ですよね。そのころ記された書物が、今、21世紀にようやく完成したと考えると、とてつもなく不思議な書物に見えてきますよね。
しかし、聖書はそんなに長い年月かけて記されてきたにも関わらず、一貫した流れがあり、初めと終わりがちゃんと調和がとれているのです。ですから、聖書がこうして手元にあること自体、奇跡中の奇跡なのですね。
聖書自体がこう語っています。テモテヘの手紙第二3:16「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」
聖書は、「神の霊感によって書かれた」とありますけれども、これは、決して聖書を記した人々の手が勝手に、まるで自動筆記ようにして動いて書いたと言うことではありません。聖書を記した人々の文学的な才能や能力を用いて、神様がそのひとりひとりを守られて、神様の思いを知らせ、書かせたということなのですね。聖書は、天地の創造者なる神様が、その内容をちゃんと保証しているよということなのです。
そして、救い主として来てくださったイエス・キリストが十字架につけられ、葬られ、復活されたことは、弟子たちを含む多くの確かな目撃証言者たちによって証言されていることです。
ですから、聖書は信頼することができるし、聖書から私たちは人生の様々な教えを、そして、素晴らしい救いを受けることができるのです。
この「世の光」では、いつも聖書からお話をしていますね。いったい、聖書とはどんな書物なのでしょう。改めて簡単に説明しておきましょう。
聖書は、旧約聖書と新約聖書に分かれています。そして、旧約聖書は39の書物からなり、新約聖書は27の書物からなっているのです。合わせて66の書物が一冊にまとめられて「聖書」と呼んでいるのですね。
聖書のはじめの書物は「創世記」と呼ばれるものですが、創世記から新約聖書のヨハネの黙示録までが記されるまでに、そうですね…1500年ぐらいの間に渡って40人以上の人々が記してきました。
この40人の中には、王様がいます。農民がいます。漁師がいます。医者もいます。政治家も学者も詩人もいるし、色々な階層の出身者によって、書かれているのですね。
考えてみてください。例えば、今から1500年前といえば、日本では飛鳥時代の聖徳太子よりさらに前の時代ですよね。そのころ記された書物が、今、21世紀にようやく完成したと考えると、とてつもなく不思議な書物に見えてきますよね。
しかし、聖書はそんなに長い年月かけて記されてきたにも関わらず、一貫した流れがあり、初めと終わりがちゃんと調和がとれているのです。ですから、聖書がこうして手元にあること自体、奇跡中の奇跡なのですね。
聖書自体がこう語っています。テモテヘの手紙第二3:16「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」
聖書は、「神の霊感によって書かれた」とありますけれども、これは、決して聖書を記した人々の手が勝手に、まるで自動筆記ようにして動いて書いたと言うことではありません。聖書を記した人々の文学的な才能や能力を用いて、神様がそのひとりひとりを守られて、神様の思いを知らせ、書かせたということなのですね。聖書は、天地の創造者なる神様が、その内容をちゃんと保証しているよということなのです。
そして、救い主として来てくださったイエス・キリストが十字架につけられ、葬られ、復活されたことは、弟子たちを含む多くの確かな目撃証言者たちによって証言されていることです。
ですから、聖書は信頼することができるし、聖書から私たちは人生の様々な教えを、そして、素晴らしい救いを受けることができるのです。
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