神のさばきの宣告 2

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.10.11
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] エゼキエル書 21章
放送日
2022.10.11

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「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今週は、「神のさばき」についてお話ししています。
聖書が教えている「神のさばき」には、いくつかの特色があります。神のさばきとは、全世界の本当の支配者である神が人に対して行うことです。正しい神が行うさばきですから、そのさばきも正しく、公正であり、絶対に間違いがありません。神は、悪を滅ぼし、人を救うためにさばきをおこなわれます。
今日は旧約聖書エゼキエル書21章の後半で語られている「神のさばき」についてお話しします。21章の後半には、罪を犯し続けてきた人々に神がさばきを下されることが語られています。神はこう言われました。「わたしはおまえの上にわたしの憤りを注ぎ、…滅ぼすことにたけた残忍な者たちの手に、おまえを渡す。」(エゼキエル書21:31)
「残忍な者たち」とは、バビロン帝国のことです。バビロンは異教の神を信じている人々であり、占いをする人々でした。神はなぜそのような人々を使ってさばきを行われるのでしょうか。それは、人々に自分たちの罪を思い起こさせるためでした。
神はこう言われています。「あなたがたの背きはあらわにされ、あなたがたのすべての行いに罪が現れて、あなたがたの咎がわたしに思い起こされる。こうして彼らは捕らえられる。」
「背き」も「咎」も人の罪のことですが、特に「背き」とは、神を裏切ることを言います。ここで、神は「こうして彼らは捕らえられる」と教えています。これは、外国に強制的に移住させられることで、実際の歴史上の出来事であるバビロン捕囚のことです。バビロン捕囚は、神のさばきだったのです。神のさばきは、人に自分の罪を教えるために神がなさることです。神によって救われるために、人がまずしなければならないことが、この「自分の罪を知ること」なのです。

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