都上りの歌~詩篇122篇

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.05.31
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 122篇
放送日
2022.05.31

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「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は、旧約聖書の詩篇にある「都上りの歌」についてお話します。
都上りの歌とは、神を礼拝するためにエルサレムの神殿に向かうときのことを歌った歌です。
 日本では、江戸時代にお伊勢参りが庶民の間に流行しました。当時の人々は、一生に一度はお伊勢参りをしたいと願っていたそうです。そんな社会的風潮の中で「東海道中膝栗毛」が書かれました。厄落としをするためにお伊勢参りをする弥次郎兵衛と喜多八の2人の道中がおもしろおかしく描かれています。
 聖書では、礼拝するための神殿参拝のことが「都上りの歌」という形で語られています。今日は、「都上りの歌」とタイトルがついている詩篇122篇からお話します。人々はどのように、エルサレムに向かう旅をしたのでしょう。最初にこのようにあります。
「さあ 主の家に行こう。」人々が私にそう言ったとき 私は喜んだ。 
「主の家」とはエルサレムの神殿のことです。当時の人々は、家族で一緒に、あるいは村中みんなで一緒にエルサレムに向かったのです。
 アメリカの有名なイラストレーター、ノーマン・ロックウェルが描いた「教会への道」という作品を思い出しました。
 日曜日の朝、きれいに身支度を整え、聖書を持って、教会に向かう家族が描かれているのです。道には前の晩の喧騒の後なのでしょう。ゴミが散らかっています。そのなかを家族はきちんとしたきれいな身なりで教会へ向かっています。今も昔も神を礼拝することを大切にする信仰は変わらないのだと思います。
 詩篇にもどりましょう。喜びながら神殿に向かう人々に対して、詩篇は「エルサレムの平和のために祈れ」と勧めます。
 平和の中で、神を礼拝することを求めています。詩篇が歌われた時代には戦争がくりかえされていました。それは昔も今も変わりません。ですから、現代の教会でも毎週の礼拝で、日本の平和、世界の平和を祈っています。平和の神よ。この地上に神の平和を実現してください。

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