わざを知らない別の世代
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2022.04.27
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 士師記 2章10節
- 放送日
- 2022.04.27
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を日々読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。
今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は士師記2章10節から「わざを知らない別の世代」と題してメッセージをお伝えいたします。
「彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。」
昨日もお話しましたが、イスラエルの民は、約束の地をことごとく自分のものとせず、中途半端な占領で終えてしまいました。彼らは神のことばに徹底して従うことをしなかったのです。その結果、何が起こったのか。
彼らは、そこに住んでいた人々の宗教に影響されて、偶像崇拝の罪に陥っていくのです。そして、彼らは占領したはずの土地で、再び、その地の住人に支配され、略奪を受けるなど、苦しむことになります。
7節を見ると、「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。」とあります。つまり、彼らの信仰は、ヨシュアや長老たちに支えられたもので、自立的なものではありませんでした。神と個人的に結びついて、神を崇め、神とともに生きる信仰ではなかったのです。人に支えられる信仰、「人に神はいるのだ」と言われてぼんやり信じているだけの信仰でした。
そして、さらに10節。「彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。」とあります。
いずれにしても、神、主を体験的に、直接的に知らない人々、ただ神様について聞かされている、それで、なんとなく家の宗教に繋がっているような人々が描かれていると言えるでしょう。
新約聖書の中で使徒ヨハネは、イエスとともに歩んだ日々を振り返り、それは、神を知り、神の力を味わうものであったことを証ししています。神は架空の存在ではありません。神は私たちの人生に介入されるお方、そして神に従う人生には恵みがあふれています。大事なことは、神を直接味わう信仰に生きることです。
では、今日もよき一日となるように祈ります。
今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は士師記2章10節から「わざを知らない別の世代」と題してメッセージをお伝えいたします。
「彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。」
昨日もお話しましたが、イスラエルの民は、約束の地をことごとく自分のものとせず、中途半端な占領で終えてしまいました。彼らは神のことばに徹底して従うことをしなかったのです。その結果、何が起こったのか。
彼らは、そこに住んでいた人々の宗教に影響されて、偶像崇拝の罪に陥っていくのです。そして、彼らは占領したはずの土地で、再び、その地の住人に支配され、略奪を受けるなど、苦しむことになります。
7節を見ると、「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。」とあります。つまり、彼らの信仰は、ヨシュアや長老たちに支えられたもので、自立的なものではありませんでした。神と個人的に結びついて、神を崇め、神とともに生きる信仰ではなかったのです。人に支えられる信仰、「人に神はいるのだ」と言われてぼんやり信じているだけの信仰でした。
そして、さらに10節。「彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。」とあります。
いずれにしても、神、主を体験的に、直接的に知らない人々、ただ神様について聞かされている、それで、なんとなく家の宗教に繋がっているような人々が描かれていると言えるでしょう。
新約聖書の中で使徒ヨハネは、イエスとともに歩んだ日々を振り返り、それは、神を知り、神の力を味わうものであったことを証ししています。神は架空の存在ではありません。神は私たちの人生に介入されるお方、そして神に従う人生には恵みがあふれています。大事なことは、神を直接味わう信仰に生きることです。
では、今日もよき一日となるように祈ります。
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