いのちへの水を与えるキリスト
- 出演者
- 羽鳥頼和
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 疲れているとき
- 不安や恐れを感じているとき
- 孤独や悲しみを覚えるとき
- 元気をもらいたいとき
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- アップロード日
- 2022.03.29
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] イザヤ書 12章3節
[旧約聖書] 詩篇 114篇8節
[新約聖書] ヨハネの福音書 4章14節
- 放送日
- 2022.03.29
「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
聖書には、「いのちへの水」ということばがあります。水は生きるのに絶対必要なものだからです。
雨があまり降らないイスラエルにおいて、水はとても貴重です。
フォークダンスの「マイム・マイム」はご存知でしょう。「マイム・マイム」は、イスラエルの歌です。マイムとは「水」のこと。歌詞の中に聖書のみことばがあります。
旧約聖書イザヤ書12章3節のみことばです。
「あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。」
水はいのちであり、水があることは救いなのです。
旧約聖書詩篇114篇8節には「神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水のあふれる泉に。」とあります。
この詩篇の作者は、出エジプトの出来事を振り返り、神がなしてくださった素晴らしいみわざを覚えています。
エジプトを脱出した時、海の水が真っ二つに分かれました。人々は海を渡ることができました。
荒野の旅を終えて、約束の地に入る時、同じようにヨルダン川の水が真っ二つに分かれました。人々は川を渡り、約束の地に入ることができました。
この詩篇の作者は、神の偉大なわざを見て、神を恐れつつ、感謝しています。
その詩篇114篇の最後に、「神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水のあふれる泉に。」とあるのです。
このことは、荒野を旅する中で水がない時に神が岩から水を湧き出させてくださったことを覚えているのですが、それだけではありません。神が、いのちを与えてくださる方であることを、神をおそれつつ、感謝しているのです。
私はイエス・キリストのことばを思い出すのです。
新約聖書のヨハネの福音書4章14節
「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
イエス・キリストは、荒野のようなこの世にあって、飢え渇いている人の心に、永遠のいのちとなる「いのちの水」を与えて下さるのです。
聖書には、「いのちへの水」ということばがあります。水は生きるのに絶対必要なものだからです。
雨があまり降らないイスラエルにおいて、水はとても貴重です。
フォークダンスの「マイム・マイム」はご存知でしょう。「マイム・マイム」は、イスラエルの歌です。マイムとは「水」のこと。歌詞の中に聖書のみことばがあります。
旧約聖書イザヤ書12章3節のみことばです。
「あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。」
水はいのちであり、水があることは救いなのです。
旧約聖書詩篇114篇8節には「神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水のあふれる泉に。」とあります。
この詩篇の作者は、出エジプトの出来事を振り返り、神がなしてくださった素晴らしいみわざを覚えています。
エジプトを脱出した時、海の水が真っ二つに分かれました。人々は海を渡ることができました。
荒野の旅を終えて、約束の地に入る時、同じようにヨルダン川の水が真っ二つに分かれました。人々は川を渡り、約束の地に入ることができました。
この詩篇の作者は、神の偉大なわざを見て、神を恐れつつ、感謝しています。
その詩篇114篇の最後に、「神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水のあふれる泉に。」とあるのです。
このことは、荒野を旅する中で水がない時に神が岩から水を湧き出させてくださったことを覚えているのですが、それだけではありません。神が、いのちを与えてくださる方であることを、神をおそれつつ、感謝しているのです。
私はイエス・キリストのことばを思い出すのです。
新約聖書のヨハネの福音書4章14節
「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
イエス・キリストは、荒野のようなこの世にあって、飢え渇いている人の心に、永遠のいのちとなる「いのちの水」を与えて下さるのです。
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