求め、捜し、たたき続けよう

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2022.02.23
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 11章8、9、10節
[旧約聖書] 箴言 3章28節
放送日
2022.02.23

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
イエス様は、ある時こんなたとえ話をなさいました。
ある日の真夜中、旅の途中の友人が突然やってきました。しかし、何も出してやるものがありません。そこで、別の友だちの所に行って「パンを3つ貸してくれ」と頼みましたが、断られてしまうのです。でも、あくまでしつこく頼み続けたので貸してくれた、というこんな話なのです。
ここに出てくる人物は皆、友だちです。でも、友だちも色々ですね。真夜中に立ち寄る図々しい友だちもいれば、もてなしのために奔走する友だちもいる。しかし、ここで問われているのは、どのような友となるべきかというような友人関係のことをイエス様は話しているわけではないのです。
イエス様がこのたとえ話で教えようとされていることは、ルカの福音書11章8節のことば「友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。」ということを教えられたのです。これは「一度だけであきらめないで、頼み続けることが大切ですよ」というわけです。
つまり、「神様に祈ることをやめてはいけない。失望しないで祈り続けることが大切なのだ。」ということをイエス様は教えられたのです。旧約聖書の箴言3章28節は、新共同訳聖書ですがこのように書かれています。「出直してくれ、明日あげよう、と友に言うな。あなたが今持っているなら。」
これは、「友だちに頼まれたものが手元にあるなら、その場ですぐに与えるべきだ」こういう意味です。「もし、そうしないなら自分が恥をかくことになるよ」というわけです。
ですから、今日のイエス様のたとえ話を聞いた人たちは、「友だちがパンを貸してくれと頼みに来たら、すぐに貸してやるのが当たり前だ」と思ったことでしょう。「頼まれた友人は、自分が恥をかかないために必要なパンを貸すだろう」というような意味にも取ることができるわけです。
だとすると、私たちの神様は、ご自分の面子にかけて、ご自分の名にかけて、私たちの祈りを放っておかれるはずがない、聞かずにはおられない方だというわけです。
ですから、イエス様はこう言われました。ルカの福音書11章9~10節
「 ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」

コメント

マルゲリータ
関根牧師の言っていたメッセージで、求める所が、マタイの福音書7章7節に、似ていた

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