その民は祝福されている
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 疲れているとき
- 不安や恐れを感じているとき
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- アップロード日
- 2022.02.12
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 民数記 22章12節
- 放送日
- 2022.02.12
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。
今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は民数記22章12節から「その民は祝福されている」と題してメッセージをお伝えいたします。
神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。」
いよいよ新しい世代は動き出しました。エドムで妨害されたイスラエルの民は、迂回路を進んで、モアブの地に差し掛かりました。しかし、そこでもイスラエルの民は妨害されるのです。一難去ってまた一難、イスラエルの民は神の御心の道を進んでいると言うのに、随分苦労させられているなと思うところです。
しかし、人生思うようにならないのが当たり前でしょう。大切なのは、たとえそうであっても、目的を達成できるようにと、神がともにいて、支えてくださることを信頼することです。
さて、次の妨害はモアブの王によるものでした。モアブの王バラクは、自分たちの領土をイスラエルの民が通ることに脅威を感じ、預言者バラムをお金で雇って、イスラエルを呪わせようとしています。当時、占いとその呪いのことばに対する迷信的な信仰があり、モアブの王は、それによってイスラエルを追い散らすことができると考えたのです。
ところが、モアブの王の預かり知らぬところで、神がバラムに現れて、「その民は祝福されているのだから、呪ってはならない。」と命じられるのです。
イスラエルに対する神の祝福は絶対のもの、不変のものでした。それは今日、まことの神を信じる者についても言えることです。しばしば人は、他人の否定的なことばや占いのことばを気にしたりするものです。しかし、まことの神を信じる者は、他人の否定的なことばも占いも、いちいち気にしないものです。神を信じる者に対する祝福のことばは決して取り去られることはありません。神を信頼することです。
また、ぜひご一緒に通読を続け、確かに神の祝福の約束は不動であるということ、不変であるということを確認していただきたいと思います。では、今日もよき一日となるように祈ります。
今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は民数記22章12節から「その民は祝福されている」と題してメッセージをお伝えいたします。
神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。」
いよいよ新しい世代は動き出しました。エドムで妨害されたイスラエルの民は、迂回路を進んで、モアブの地に差し掛かりました。しかし、そこでもイスラエルの民は妨害されるのです。一難去ってまた一難、イスラエルの民は神の御心の道を進んでいると言うのに、随分苦労させられているなと思うところです。
しかし、人生思うようにならないのが当たり前でしょう。大切なのは、たとえそうであっても、目的を達成できるようにと、神がともにいて、支えてくださることを信頼することです。
さて、次の妨害はモアブの王によるものでした。モアブの王バラクは、自分たちの領土をイスラエルの民が通ることに脅威を感じ、預言者バラムをお金で雇って、イスラエルを呪わせようとしています。当時、占いとその呪いのことばに対する迷信的な信仰があり、モアブの王は、それによってイスラエルを追い散らすことができると考えたのです。
ところが、モアブの王の預かり知らぬところで、神がバラムに現れて、「その民は祝福されているのだから、呪ってはならない。」と命じられるのです。
イスラエルに対する神の祝福は絶対のもの、不変のものでした。それは今日、まことの神を信じる者についても言えることです。しばしば人は、他人の否定的なことばや占いのことばを気にしたりするものです。しかし、まことの神を信じる者は、他人の否定的なことばも占いも、いちいち気にしないものです。神を信じる者に対する祝福のことばは決して取り去られることはありません。神を信頼することです。
また、ぜひご一緒に通読を続け、確かに神の祝福の約束は不動であるということ、不変であるということを確認していただきたいと思います。では、今日もよき一日となるように祈ります。
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