平安あれ

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2021.10.18
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 20章
放送日
2021.10.18

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
イエス様は、十字架につけられたあと3日目に復活されました。その日の夕方、イエス様は弟子たちの前にご自分の姿を現されたのです。弟子たちは、ユダヤ当局者たちを恐れ、戸を閉めきっていました。それは、自分たちの身も危険にさらされていると思っていたからです。弟子たちは、失意と恐れの中にいました。また、弟子たちは、イエス様が逮捕される前は「何があってもあなたについていきます」と勇ましいことを語っていましたよね。でも、イエス様が逮捕されると散り散りに逃げ去ってしまいました。ですから、弟子たちは「俺たちはイエス様を裏切り、見捨ててしまった」という罪悪感も持っていたことでしょう。
そんな彼らのところに、イエス様は来られ、開口一番こう言われました。「平安があなたがたにあるように。」と。イエス様は、弟子たちに「お前たち、よくもわたしを裏切って、逃げて行ったな。あれだけ世話をしたのに、恩を仇で返す者たちめ!」とは言われませんでした。弟子たちを非難し、叱責するのではなく、平安があなたがたにあるようにと語りかけてくださったのです。
弟子たちは、このことばにどれほど安堵したことでしょう。この「平安」ということばは、ヘブル語では「シャローム」ということばです。シャロームは、今でもイスラエル人のあいさつのことばとして使われています。「こんにちは」も「さようなら」もシャロームです。では、イエス様は、弟子たちに「こんばんは」という、ただのあいさつのつもりでシャロームと言われたのでしょうか。
決して、そうではありませんでした。イエス様は、恐れと失意の中にいた弟子たちに向かって「平安があなたがたにあるように」と言われたのです。それは「安心しなさい。もう、恐れることはない。失意の中にとどまることもない。自分を責めることもない。」このように、弟子たちに大きな励ましと慰めを与えることばとして届けられたのです。イエス様は「わたしがあなたがたに与える平安は世が与えるものとは違う」と以前、弟子たちに語っておられたとおりでした。
そして、知ってください。今日あなたの人生にも「平安があるように」とイエス様は語りかけてくださっているのです。この平安は、世が与えるものとは違う決して奪われることのない永遠の平安であることを、ぜひ知っていただきたいと思います。

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