ルカの福音書-62 あなたの信仰の系譜の中に

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2021.05.19
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.05.19

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所、3章では、イエス・キリストに至るまでの名も無き人が多数描かれている系図が出てきます。
 それぞれの教会には、実は信徒原簿というものがあります。それは、信仰を持ったお一人お一人が、信仰を持つ経緯が記されていて、そこには、どこで洗礼を受けたのか、どの牧師が洗礼を授けたのかが記されています。それを読むと、実に様々な経緯で、一人ひとりが信仰に導かれたことがよくわかるのです。
 私たちの信仰の系譜には、信仰を導いてくれた人がいます。さらにその人を導いてくれた、他のだれかがいるのです。それぞれの人には、名も無き人が、自分の信仰を持ったその経緯にいてくださるのです。
 「世の光」のラジオで信仰を持った方もおられます。しかし、その人にはこのラジオの番組の存在を教えてくれただれかがいたはずです。あるいはその後、その人が教会に来ることを知って、教会で迎えてくれた人もいるはずです。そのことを知って、祈り続けてくれた人も私たちの信仰の系譜にはあるのです。
 それらの方々が、皆さんの記憶から忘れられているかもしれません。しかしだれか名も無き人が、あなたの信仰に今も関わっているのです。ルカが系図に記したような具体的なだれかの名前が、私たちをキリストのもとへとつなげてくれたのです。
 イエス様は家柄を選んで、この地上に来られませんでした。名も無き貧しい二人の若者の家に生まれてくださったのです。父親ヨセフは大工でした。イエス様も三十歳になるまで大工として働くことを選んで、仕えることを選んで、生き抜かれたのです。信仰を持つのにふさわしい家柄などないのです。
 キリスト教会は、伝道者の子どもが伝道者にならないといけないわけではありません。だれでも召されるならば、伝道者、牧師となるのです。召されるならば、だれであっても牧師となり、伝道者となりうるのです。
 どの家柄が偉いなどありません。信仰が長ければ偉いというのもありません。教会は名も無き信仰者たちが連なる、信仰のつながりの中にあります。父なる神を父として、イエス様を一番上のお兄さんとして、はじめの人アダムも兄弟と呼び、信仰の父アブラハムも兄弟と呼べるのです。ここに神の家族が一人でも多く入ってきてほしいと願う、教会の伝統があるのです。

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