「神はいない」と言う

出演者
福井誠
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制作
一般財団法人 太平洋放送協会

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アップロード日
2019.10.30
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 14篇1節
放送日
2019.10.30
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。
 詩篇14篇1節から「『神はいない』と言う」と題してメッセージをお伝えいたします。
「愚か者は心の中で『神はいない』と言う。彼らは腐っていて忌まわしいことを行う。善を行う者はいない。」
 14篇の冒頭には、「愚か者は心の中で『神はいない』」と言っている」とありますが、ここで、「愚か者」と訳されたヘブル語は、「ナバル」、それは知能的な愚かさではなくて、意図的に神に心を閉ざし、逆らう者を意味していますね。「攻撃的なつむじ曲がり」という翻訳もあります。彼らの特徴は二つ。神の律法嘲ること。そして、神の民を抑圧することです。彼らは、パンを食らうように神を愛する者を食らう、つまり、空腹な獣のように弱いものを食い物にする者たちです。
 一体、ダビデはこの詩をどのような状況で歌ったのでしょうか。アブシャロムが謀反起こした時、あるいは聖書の記録にはない、非常に追い詰められるような出来事があった時とも言われています。しかしながら注目したいのは、この詩篇は、53篇とその内容がよく似ていることです。それは、個人的な経験から書かれた詩篇14篇を、後で、侵略や包囲の脅威などの、国家的危機に合わせて改定したものだといわれているものです。ダビデが旧約聖書の中で、その意を汲みながら、国家的な規模の救いを願う内容に改訂されたというわけですね。
 ところが新約聖書では、さらにもっと違った読み方がなされています。パウロは、ローマ人の手紙3章でこの詩篇を引用して、「愚か者」をある特定の悪人や国家ではなくて、全人類として解釈し引用しているのです。つまり、初代のキリスト教徒は、この詩を、ダビデの個人的、あるいは国家的な抑圧の状況ではなく、全人類の罪の状況を語るものとして読んだのですね。自分も含めて、すべての人がこの「愚か者」に値して、そこから救われる必要があると読んだのです。
 謙虚に、自分の罪深い現実を認めて、救い主である主イエスを受け入れていくものでありたいものです。では良き一週を祈ります。

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