主はヨブを元どおりにされた

出演者
福井誠
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制作
一般財団法人 太平洋放送協会

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アップロード日
2019.10.16
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] ヨブ記 42章10節
放送日
2019.10.16
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。ヨブ記42章10節から「主はヨブを元どおりにされた」と題してメッセージをお伝えいたします。
「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにされた。さらに主はヨブの財産をすべて、二倍にされた。」
 ヨブの試練は終わりました。ヨブは友人たちとの議論の最終段階で、彼らは神をわかっていないと激しく攻撃するところがありましたが、自らも、神をわかっていると思うほどには、わかっていなかったことを教えられていますね。  
 誰も彼もが、わかったつもりでいるだけで、表面的に神を語っているということはあるものです。けれども、人間はみなそのようにして徐々に神の深さを悟らされていくものなのでしょう。そして、自分の力ではどうにもならないような苦しみや試練に巡り会った時にこそ、神に目を開かれることがあります。わかったつもりになっていたことが、こうだったのかと悟らされるのですね。
 さて、ヨブの物語りは、ハッピーエンドに終わっています。それは神が、友人たちの前にヨブの面目を保ち、ヨブの正しさを示すものとなりました。神は、わたしたちを恥辱の中に捨て置かれたままでいることはありません。正しい者の苦難が、苦難で終わることはないのです。しかし、ヨブが二倍のものを祝されたというのは、文字通り取るよりも、私たちの苦難が、決してむなしくは終わらないことへの信仰を促すための結論なのでしょうね。というのも、私たちは自分たちが願うような終り方にならなければ、ハッピーエンドではないと思いやすいものですが、そうでなくても、これが良い結果であり希望であると、長い目で考えると理解できることの方が多いからです。
 実際、神に見捨てられたかのように、十字架の恥辱の死を味わった主イエスは、全人類の救いの祝福をもたらしています。彼の死は、そのときは理解しにくいものでしたが、今や聖書において、誰にもわかるように解き明かされていますね。今、ここの満足を超えて、神の目線で良い結果を望み見る信仰こそ持ちたいものです。では良き一週を祈ります。

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