報いのある人生
- 出演者
- 関根弘興
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2019.06.21
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 18章29節
- 放送日
- 2019.06.21
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。イエス・キリストの弟子の一人ペテロは、イエス様に従っていった人物です。そんな彼があるとき、イエス様にこう言い出しました。「ご覧下さい。わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。私たちは何がいただけるでしょうか。」図々しい質問ですね。ペテロは、自分は何もかも捨ててイエス様に従ってきたという自負がありました。ですから、それ相応の見返りがあるはずだと思ったのでしょう。でも、すべてを捨てて従ったのなら、もう特に何ももらわなくてもいいはずなんですけどね。するとイエス様は、ルカの福音書18章29節でこう語られました。「まことに、あなたがたに言います。だれでも、神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者は、必ずこの世で、その何倍も受け、来たるべき世で、永遠のいのちを受けます。」こう言われました。
実は、このイエス様の言葉はよく誤解されてしまうことがあります。「ああ、そうか。家族を捨てたら幾倍かの報いを受けるのか。よし!家出して、父と母から逃げよう。それに妻も捨ててしまおう。こりゃいい言葉だわぁ」と考えたら、これ大間違いなんですね。
では、イエス様の言葉はどういう意味なのでしょう。この捨てるという言葉は、もう不要になったので、ゴミ箱にぽいと捨ててしまうという意味ではありません。聖書は、白か黒かというような書き方をする特徴があります。例えば、ここにおいしそうなリンゴが二つあったとしましょう。私が右のリンゴを選んだら、関根弘興は左のリンゴを捨てたとか、関根弘興は右のリンゴを愛し、左のリンゴを憎んだというような表現をすることがあるんです。
ですから、神の国のために家族を捨てるというのは、家族をないがしろにするということではなくて、家族を大切にすることは大前提なんだが、神様に人生を委ねて、神様にすべてのことを支配していただくことを優先していきなさいねという、そのことを教えてるわけです。「イエス様、私がぎゅっと握っていた手を開きます。イエス様の言葉を信頼し、委ねて生きて行きます」と告白しながら歩むことの大切さを教えています。そして、そうした人生にこそ、イエス様が約束されたように、この世にあって、その幾倍かを受けないものはなく、後の世で、永遠の命を受けないものはないと、イエス様は約束して下さってるんですね。
実は、このイエス様の言葉はよく誤解されてしまうことがあります。「ああ、そうか。家族を捨てたら幾倍かの報いを受けるのか。よし!家出して、父と母から逃げよう。それに妻も捨ててしまおう。こりゃいい言葉だわぁ」と考えたら、これ大間違いなんですね。
では、イエス様の言葉はどういう意味なのでしょう。この捨てるという言葉は、もう不要になったので、ゴミ箱にぽいと捨ててしまうという意味ではありません。聖書は、白か黒かというような書き方をする特徴があります。例えば、ここにおいしそうなリンゴが二つあったとしましょう。私が右のリンゴを選んだら、関根弘興は左のリンゴを捨てたとか、関根弘興は右のリンゴを愛し、左のリンゴを憎んだというような表現をすることがあるんです。
ですから、神の国のために家族を捨てるというのは、家族をないがしろにするということではなくて、家族を大切にすることは大前提なんだが、神様に人生を委ねて、神様にすべてのことを支配していただくことを優先していきなさいねという、そのことを教えてるわけです。「イエス様、私がぎゅっと握っていた手を開きます。イエス様の言葉を信頼し、委ねて生きて行きます」と告白しながら歩むことの大切さを教えています。そして、そうした人生にこそ、イエス様が約束されたように、この世にあって、その幾倍かを受けないものはなく、後の世で、永遠の命を受けないものはないと、イエス様は約束して下さってるんですね。
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