罪人を招く愛のまなざし

出演者
福井 誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

もっと詳しく見る

アップロード日
2025.11.18
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 9章13節
[旧約聖書] ホセア書 6章6節
放送日
2025.11.18

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。今週は福井誠が担当しています。私が住んでいる東京の二子玉川では、11月になると木の葉が赤や黄色に色づき始め、秋から冬へと季節の移り変わりを感じます。冷たい風が吹くと、思わず肩をすくめてしまいますが、澄んだ空気の中で心が静かになるような気がします。今日も、聖書のことばを通して、あなたの心にあたたかい光が届くことを願っています。
さて、今日は「罪人を招く愛のまなざし」というテーマでお話しします。聖書をお読みします。
「『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」新約聖書マタイの福音書9章13節
このことばは、イエス・キリストが取税人、つまり税金を集める仕事をしていたマタイを弟子として招いたときに語られたものです。当時、取税人は人々から嫌われ、「罪人」と呼ばれて宗教的にも汚れていると見なされていました。しかし、イエスはそんなマタイに「わたしについて来なさい」と声をかけました。
それは、イエスが「これまでマタイがどう生きてきたか」ではなく、「これからどう生きたいと思っているのか」に注目しておられたためです。ですからイエスは、マタイの評判や過去にとらわれず、彼の「従いたい」思いに応えられました。
そのようなイエスを、当時の宗教家たちは批判しました。これに対して、イエスは旧約聖書のホセア書のことばを使い「わたしが喜ぶのは真実の愛、いけにえではない」と言いました。それは、神が喜ばれることは、いけにえや儀式ではなく、心を通わせることだという意味です。神はあなたの心に目を留めておられます。そして今この瞬間も「わたしについてきなさい」と語り掛けているのです。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ