イエスだけであった

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.05.31
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] コリント人への手紙第二 12章9節
放送日
2019.05.31

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世の光の時間です。元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
 イエス様の生涯を記した福音書の中に、イエス様がペテロとヨハネとヤコブの三人を連れて高い山に登られた出来事が描かれています。山に着くと、弟子たちは疲れていたのでしょう。眠気をもよおしてうとうとし始めてしまいました。その時でした。なんと白く光り輝く栄光の姿に変貌したイエス様の姿を見たのです。そして、さらに驚いたことに、その場所にあの旧約聖書で有名なモーセとエリヤが現れ、イエス様と話し合っていたというのですね。素晴らしい光景を見ていた弟子たちでしたが、雲が沸き起こって雲の中から「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」と言う父なる神様の声がしたのです。そしてこの声がした時、そこに見えたのはイエスだけであったと記されています。
 実は、これはとても象徴的な言葉なんです。私たちは特別な経験も神秘的な場所も必要ありません。イエス様がそこにいて下さるなら、それで充分だと言うことを聖書は私たちに教えているんですね。
 パウロという人が記した手紙、第二コリント12章9節に、イエス様がパウロに、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたことが書かれています。この言葉は、リビングバイブルという聖書の訳では、「私はあなたとともにいる。それで充分ではないか。」というふうに訳されています。イエス様が私たちと共にいる。それで充分ではないかというわけですね。なぜなら、イエス様のうちに神様の栄光が、そして愛が、力が、恵みが、そして真実が、満ちあふれているからです。
 イエス様は、ご自分の方から私たち一人ひとりのもとに来てくださいました。山の上の特別な経験も時にはあるかもしれませんが、大切なのは日常生活の中に、私たちがどこにいても、いつもイエス様が共にいて下さるというその約束に生きていくということなんですね。
 私たちは、山に登るような経験が人生の中には、何度かあるかもしれません。でもどうでしょうね。99%は日常の場で過ごしています。そうした中で疑問の湧くことがあるし、弱さを覚えて落ち込むこともあるでしょう。問題も起こります。しかし今日ぜひ知っていただきたいんです。そこに見えたのは、イエスだけであったというその言葉を心に刻んでいただきたいんですね。イエス様がそこにいて下さるのなら大丈夫だからです。

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