主は私の羊飼い
- 出演者
- 林 守鎮(緑の牧場キリスト教会)
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.11.05
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 10章14-15節
- 放送日
- 2025.11.05
「世の光」の時間です。広島県東広島市にある、緑の牧場キリスト教会の牧師、イム・スジンです。
私が大好きな聖書のことば、詩篇23篇1節、2節です。新改訳第3版の聖書でお読みいたします。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」
詩篇23篇は、聖書の時代の一人の信仰者が自分自身の生涯を顧みて、主である神様がいつも共に居て下さることを感謝してよんだものであります。神様は、その御心に従って造られたすべての人と共に歩んで下さるお方です。天地万物を造り、人をお造りになった神様は、私たちすべての人の傍らに居て導いて下さるお方です。
神様は聖書を通して、私たち人間とご自分との関係を、何度も羊と羊飼いの関わりの内に説明してきましたが、そのことは、やがてイエス・キリストによって実現しました。私たちはこの羊飼い、イエス・キリストによって導かれる羊なのです。イエス様はヨハネの福音書10章14、15節でこう言われました。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます」ここに書いてあるとおり、イエス様は私たち一人一人のことをご存じであり、私たちのためならば、ご自分のいのちを投げ出してくださる羊飼いなのです。
羊飼いであるイエス・キリストによって、「緑の牧場」と「いこいの水のほとり」へ導かれることは、私たちが神様と繋がっている状態であることだと思います。人間の本質において、一番大切なことは、神様と正しい関係で、つながっていることであり、それによって、魂を生き返らせ、正しい道に導かれるのです。私たちにとっての「緑の牧場」と「いこいの水のほとり」は結局、神様と正しい関係で、繋がっていること、それによって、平安が与えられることではないか思います。主は私の羊飼いです。羊飼いであるイエス・キリストによって導かれ、あなたに平安が与えられますように願います。
私が大好きな聖書のことば、詩篇23篇1節、2節です。新改訳第3版の聖書でお読みいたします。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」
詩篇23篇は、聖書の時代の一人の信仰者が自分自身の生涯を顧みて、主である神様がいつも共に居て下さることを感謝してよんだものであります。神様は、その御心に従って造られたすべての人と共に歩んで下さるお方です。天地万物を造り、人をお造りになった神様は、私たちすべての人の傍らに居て導いて下さるお方です。
神様は聖書を通して、私たち人間とご自分との関係を、何度も羊と羊飼いの関わりの内に説明してきましたが、そのことは、やがてイエス・キリストによって実現しました。私たちはこの羊飼い、イエス・キリストによって導かれる羊なのです。イエス様はヨハネの福音書10章14、15節でこう言われました。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます」ここに書いてあるとおり、イエス様は私たち一人一人のことをご存じであり、私たちのためならば、ご自分のいのちを投げ出してくださる羊飼いなのです。
羊飼いであるイエス・キリストによって、「緑の牧場」と「いこいの水のほとり」へ導かれることは、私たちが神様と繋がっている状態であることだと思います。人間の本質において、一番大切なことは、神様と正しい関係で、つながっていることであり、それによって、魂を生き返らせ、正しい道に導かれるのです。私たちにとっての「緑の牧場」と「いこいの水のほとり」は結局、神様と正しい関係で、繋がっていること、それによって、平安が与えられることではないか思います。主は私の羊飼いです。羊飼いであるイエス・キリストによって導かれ、あなたに平安が与えられますように願います。
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